無知蒙昧なセンテンス

その辺の社会人が色々なものの言語化を試みる場です。

トロットロの吐露

社会人になって半年が経った。

ホワイトな会社に入社したこともあって、それほど忙しくない。残業する日はあるが月で見たら多くても20時間とかだし、有休も月一くらいのペースで取れている。忙しさでいったらM2の頃の方が余裕がなかったような気がする。さらに学生の頃より健康に気を遣うようになり、マルチビタミンを摂るとか寝る前に筋トレするとか朝は飲むヨーグルト+バナナを習慣づけるとか、明らかに身体にやさしい生活を展開している。
身体的には人生で今が一番心配してないといっても過言ではない。といいつつなんだか忙しくなる気配も感じるので、さすがに過言かもしれない。

問題は心の方で、明らかに学生の頃より鬱屈としている。

一番分かりやすかったのは死を恐れる気持ちが爆増したことだ。元々死への恐怖はそれなりに抱いていたが、社会人になってからそれは格段に強まった。怖すぎて時々過呼吸気味になるなんてのは今まではない症状だった。「へえー、死を恐れることをタナトフォビアって言うのかー」と知識欲の充足で誤魔化そうとしたりもしたが、全く無意味だった。むしろタナトフォビアで検索しても宗教系のサイトばかりでてきてうんざりするだけだった。
なぜこんなに怖いのか、分析したこともある。その結果わかったのは、自分の中で小→中→高→大→社会人→死という順番を描いているということだ。社会人になってはじめて、死が隣に来たような感覚がある。学生の頃はどこか他人事だった死がはじめて目の前に現れたように感じられた。ただ、こうやって分析して理由が分かったところで死は目の前から去ってくれず、恐怖心も特に和らぐことはない。

この順番の考え方は、死への恐怖以外にも心に悪さをしている。社会人は学生に比べて明確な変化がなかなか訪れない(と、少なくとも今は思ってる)。学生時代は3年とか4年とかで強制的に所属や環境が変わる。当時は特に気にも留めてなかったが、この変化は今思うと精神にとてもよかったなと思う。なんだかんだで変化が多い方が楽しい。少し極端な話をすると、人生はある程度の浮き沈みがある方が楽しいと思っている。同じ0ならずっと0のままよりも+10と-10を経た0の方が楽しいと思う。そんな価値観があるから、「社会人は明確な区切りがないし、これからは変化の密度が減っていくのかなあ」なんてことを考えると、のっぺりとした絶望が脳みそを包む。数年とか数十年とかの大きな期間で見たら変化もたくさんあるのかもしれないが、日々の変化は明らかに学生時代より少ない。と思う。

あとこれは社会人だからではないが、年々没頭できなくなってきている。これは経験したことが増えていくにつれて新しいことを自分の経験と結び付けやすくなっているのが原因だと思う。それが楽しい場合もあるが、結び付けすぎると冷静になったりそこから抽象化したりして、目の前の新鮮さが損なわれる。「これってあの時の○○と同じじゃん!!」よりも「うわあああなにこれえええ!!!すげえええええ!!!」を求めている自分がいる。
「同じじゃん!おお」みたいなポジティブな結び付きは全然いいのだが、これがネガティブに働くことがある。例えば何かで高みを目指すときに、「多分こんな感じで努力したらこのくらいまでいけるな。そしたらあの時ぐらいの達成感と喜びが味わえるんだろうな」なんてことが脳裏をよぎってしまうと、なかなか純粋に没頭できない。
でもたぶん、これを乗り越えて没頭した先にはまだまだたくさんの「うわあああなにこれえええ!!!すげえええええ!!!」が待ってるんじゃないだろうか。いや頼む、頼むから待っていてくれ...!

没頭できない理由はほかにもある。選択肢が広いのだ。社会人になって明らかにやれることが多いと感じる。お金も学生の頃より増えたし行ける場所も増えた。選択肢が多いのはいいことだが、選ぶエネルギーが必要だ。何かを選ぶと、必ずできない何かが生じる。選択肢が一つしかなければできない何かに気づくことはないが、選び取るという感覚がある限り、捨てる何かに気づいてしまう。気を抜くと何も選べずに終わるなんてことが平気で起きてしまう。できることが増えるほど何もできなくなるなんて、皮と肉の盛り合わせでしかない。


色々吐き出して大分すっきりしてきた。大分という文字を見ると「だいぶ」より先に「おおいた」が出てきてしまうので、いつも違和感を覚える。これはどうでもいい。
すっきりしてきて思うのは、この鬱屈を何とかするには何とかして没頭するしかない。できるなら選びとって没頭したいけど、たぶんやらされる没頭でもいいんだと思う。それこそ仕事が忙しいとかでもいい(なんか悔しいけど)。没頭すれば日常はカラフルになるし、たぶんのっぺりした絶望を展開する暇はなくなる。そしてその瞬間くらいは、死への恐怖も忘れられる気がする。











まあ、この鬱屈と共存してもいいのかもしれないけど。