無知蒙昧なセンテンス

その辺の社会人が色々なものの言語化を試みる場です。

失った 2403某日

今月、父が亡くなった。


ご飯を食べると肝臓が痛むと言い出し、病院で検査をしたらステージⅣの肺がんと診断された。この一文だけ読むとわけが分からないと思うが、肝臓にも転移しており、10cmほどに肥大したせいで胃を圧迫していたというわけだ。それほどの末期がんだった。
二か月前に車の運転をしていた人が突然余命1か月と宣告され、実際にはその1週間後に亡くなった。
現実はまるでコントロールできないし、1ミリも待ってはくれない。そこに一切に甘えなんてものはなく、ただただ事実を、受け入れがたい事実を突きつけてくるだけ。

ただ悲しみをぶちまけるだけの文章を公開するつもりはさらさらないので、違う話をしていく。喪失感の代わりにありったけの意地をぶちまけようと思う。

余命宣告を聞いたとき、この状況と徹底的に向き合わないといけないという気持ちが強く芽生えた。1ミリも甘えのない現実と真っ向勝負するには、こちらも一切の妥協をせずに向き合い続けないといけないと思った。元々父とそれほど仲良くなかったが、だからこそこのまま今生の分かれを迎えてはいけないという焦りがあった。
じゃあ何をするかという話で、基本的に外部をコントロールすることはできない。この場合、すでに体中に管を通され入院生活を始めた父と旅行に行ったり飯を食ったりなんてことはもうできそうもなかったし、父はショックで時々焦点の合わない会話をするようになっていたから他愛のない雑談以上のコミュニケーションは難しかった。ただ、自分の中で完結することはやれる。

まず、仕事のスケジュールを限りなくブロックし、極力面会に行けるようにした。この週は仕事関連のプレゼンや外部のイベント参加などが盛りだくさんだったが、やり切った。また、自分の仕事はどこでも可能なので、半分くらいは実家で過ごすようにした。入院場所が実家から車で10分ほどの場所で、自宅からだと1時間以上かかるためである。余命宣告を聞いてから亡くなるまでは7日だったが、おかげでそのうち5日間は面会に行くことができた。
面会に行った後は必ずメモを残すようにした。父の様子、面会に来た親戚の様子、自分の感情とかをなるべく書き留めた。これはとんでもなくしんどかったし、今となってもやらない方がましだったような気がする。
あと、感謝の手紙を書いた。手紙じゃないと伝えられないことがあるってヴァイオレット・エヴァ―ガーデンでも言ってたし、実際文章にしないと出てこない言葉はある。直感でなるべく早く書いて渡した方が良いと思い、余命宣告を聞いた2日後に書き、その次の日に父に渡した。ちなみにその次面会に赴いたときは既に危篤状態だったので、本当にギリギリ意識のあるタイミングで手紙を渡し、読んでもらうことができた。これは本当に良かったと思う。

1週間でできたことはこれくらいだった。これらの活動を向き合ったと言えるのかは今となってはよくわからないが、とにかくやらねばという気持ちでそれを始めたし、それをやり切れたので嫌な後悔は残ってない。


もちろん無理して向き合うことはないし、それで身を滅ぼしたら元も子もない。だけど現実は1ミリも甘えてくれないから、心から向き合いたいと決意してしまったら、こちらも1ミリも甘えられない。


とりあえず今は死後の諸々の手続きに追われているが、ガチで死ぬほどめんどくさいので(死後だけに)、どこかに分かりやすくまとめてなるべくみんなに楽になってほしいなと思っている。これだけめんどうだから士業があるんだなと激しく納得している。ただ自前で全部手続した方がお金はかからないので、なるべく楽に遺族だけで手続きを完遂できることのサポートをしたい。落ち着いたらマジでまとめたい。

抗ってこうぜ。