無知蒙昧なセンテンス

その辺の社会人が色々なものの言語化を試みる場です。

面白いと思った漫画

※完全に自分用のメモです。随時更新

 

読んだ時期

  • 2023以前

GANTZ

フェアリーテイル

鋼の錬金術師

クレイモア

ハンターハンター

監獄学園

亜人

刻刻

宇宙兄弟

思春期ビターチェンジ

リアル

SKET DANCE

鉄楽レトラ

アイアムアヒーロー

ワンパンマン

東京喰種

ハイスコアガール

ヒストリエ

転生したらスライムだった件

四月は君の嘘

宇宙大恋愛

ゴールデンゴールド

Blue Giant

竜の学校は山の上

古見さんは、コミュ症です。

水は海に向かって流れる

月曜日の友達

変女

銀河の死なない子供たちへ

ウスズミの果て

ブランクスペース

マリッジトキシン

宇宙の卵

スケルトンダブル

チェンソーマン

推しの子

地獄楽

チ。-地球の運動について-

違国日記

海が走るエンドロール

葬送のフリーレン

懲役339年

ミューズの真髄

私たちの幸せな時間

往生際の意味を知れ!

怪獣8号

キングダム

ゴールデンカムイ

ひゃくぇむ

九龍ジェネリックロマンス

ワールドトリガー

ゆうやみ特攻隊

アルテ

よふかしのうた

ルックバック

2.5次元の誘惑

約束のネバーランド

波よ聞いてくれ

呪術廻戦

ぐらんぶる

彼方のアストラ

とんがり帽子のアトリエ

Dr.Stone

子供はわかってあげない

足摺り水族館

蟹に誘われて

おむすびの転がる町

宝石の国

あなたはブンちゃんの恋

ドリフターズ

不滅のあなたへ

狭い世界のアイデンティティ

サマータイムレンダ

尾かしら付き。

私の少年

one outs

ライアーゲーム

信長協奏曲

進撃の巨人

ワンピース

魔人探偵脳噛ネウロ

乙嫁語り

ブラッドラッド

ぼくは麻理のなか

クジラの子らは砂上に歌う

寄生獣

週末のハーレム

よんでますよ、アザゼルさん

響~小説家になる方法~

SPY×FAMILY

湖が舞い子が舞い

かぐや様は告らせたい

ジョジョ4部

リィンカーネーションの花弁

アオアシ

ボールルームへようこそ

ダンジョン飯

ジョジョリオン

デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション

ヲタクに恋は難しい

あせびと空世界の冒険者

ばらかもん

今宵月が綺麗ですがとりあえず死ね

青の祓魔師

終わりのセラフ

 

  • 2024

劇光仮面

うみべのストーブ

mad

シバつき物件

路傍のフジイ

ふつうの軽音部

正反対な君と僕

ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ

ヴィンランド・サガ

サンキューピッチ

BLEACH

天傍台閣

 

『アイデア資本主義』を読んで考えたこと

大川内直子『アイデア資本主義』を読んだ。資本主義のフロンティアが消えつつある現代に、アイデアそのものが投資対象になっていく――そんな見立てを軸にした一冊で、考えさせられる点が多かった。読みながら取ったメモと、自分なりに考えたことを残しておく。





アイデア資本主義 文化人類学者が読み解く資本主義のフロンティア | 大川内 直子 |本 | 通販 | Amazon


本書の内容

資本主義の再定義

一般的な定義とは別に、本書では資本主義を「将来のより多い富のために、現在の消費を抑制し投資しようとする心的傾向」として捉えている。制度というより、人々の心の傾きとして資本主義を描いているのが特徴的だ。


消滅しつつあるフロンティア

本書は、資本主義を支えてきたフロンティアが消えつつあると指摘する。

  • 空間のフロンティア:世界のほぼ全域がすでに開発され、発展してしまった。
  • 時間のフロンティア:未来への投資という観点。今の経済の主流である企業はゴーイング・コンサーン(無期限に存続する)を前提とし、現在から未来へ向かう時間軸はすでに開拓され尽くしている。
  • 生産=消費のフロンティア:生産量・消費量・生産性の向上にも限界が見えてきた。


インボリューション

フロンティアを外へ拡大する選択肢が取りにくくなると、内側へ向かう拡大=インボリューションの重要性が増す。アイデア資本主義も、このインボリューション的な色合いを帯びているという。


アイデア資本主義とは

アイデアが「生産手段の前駆体」という位置づけを脱して、アイデアそのものが独立した投資対象になっている。生産量や生産性のフロンティアが消えつつある中で、モノを生産せず活用するビジネスが増えてきた。重心は、モノを生産する能力や設備から、その組み合わせや活用方法へと移っていく。

その上で本書は、良いアイデアには良いインサイトが欠かせないとし、文化人類学的なアプローチ――発言ではなく行動に着目することで、バイアスのないインサイトを得る――を紹介している。


これからの資本主義

インボリューションとアイデアによって、フロンティアが無くなっても資本主義は拡大し続けている。資本主義は問題も恩恵も引き起こしてきた。商品やサービスが多様化し、権利や自由も増えた。奴隷制の廃止のように、資本主義の枠内で問題が解決されることもある。

そして資本主義は本質的に個々人の心的傾向(先を見通して計算する)なので、簡単には変えられない。だからこそ、別のシステムへ移行するのではなく、資本主義自体を改良していく方が現実的で建設的だ――ただし、あらゆる問題を市場原理で解決する必要はない、というのが本書の立場だ。



読んで考えたこと

資本主義による最適化は、基本的に「将来の富の増加」によって駆動されている。その最適化として、いろいろな粒度で役割分担が生まれているように思う。富という観点では洗練されていく一方で、自分の役割のことしか分からず、全体が見えなくなっていくのではないか。そうやって考えられる範囲が狭まっていくことは、果たして豊かと言えるのだろうか。

こう感じるということは、自分はきっと「考えること」、そして「考えるための材料がたくさん手に入ること」に価値を置いているのかもしれない、と気づかされた。

一方で、資本主義は個々人の心理傾向だから簡単には変えられない、という主張には少し疑問も抱いた。資本主義の中でしんどさを感じる人が増えているのは、個人の内側にある「将来の富を増やしたい欲」よりも、社会の側の「将来の富を増やしたい欲」の方が強くなっているからではないか――そんなことを考えた。

そもそも、文化や価値観も、変わる時には変わりうるのではないか。先進国においては、すでに暮らしが十分に豊かになった感覚があり、「将来の富をより増やす」という思考よりも、現状維持の思考が存在感を増しているような気もする。だとすると、「将来の富を増やそうとする心的傾向」という本書の前提自体が崩れる気がするし、富が極端に減らないことを価値とするような体系ができても、おかしくないのではないか。

そして、こうした価値観は、コモンズや自治の考え方とどう関連しているのだろう。富の最大化ではなく、共有された資源をどう維持し、自分たちで治めていくか――そこに重心を置く発想と、本書の議論はどこかでつながっている気がして、もう少し考えてみたいと思った。

フロンティアの消滅という大きな見取り図から、自分の価値観を問い直すきっかけまでもらえる本だった。

【ポケモンチャンピオンズ】シーズンM-1 最終366位 R2550 備忘録

最終結果

こんにちは、さみっとと申します。

ポケモンチャンピオンズのシーズンM-1で最終366位を取ったので、記録として記事を書こうと思います。

構築は割と試行錯誤して変えながら使っていたので、いわゆる一つの構築を詳しく紹介する構築記事というよりは自分がどういう試行錯誤をしてどんな構築の変遷をしたのかを書こうと思います。

それと、自分がアラサーになり、学生のころのランクバトルの取り組みと比べて体力やコンディションの衰えも感じたので、その辺りの話も記録として書いておきます。

以下常体で書きます。





構築の変遷

まだあまり情報が出回っていない最初のシーズンということで、XやYoutubeから情報を集めつつ気になった構築を色々と試していた。しかしピンとくるポケモンや並びには出会えず、レートも2100-2200あたりをうろうろとしていた。

そんななか、対戦相手のバイバニラにボコボコにされたのでバイバニラから構築を考え始めた。


バイバニラの強みとして、

  • ガブリアス+アーマーガアに対して技が一貫する
  • カブリアス、カバルドン、ブリジュラスにも圧がかかるのでステロ展開を許しにくい
  • 火力デフレ環境では貴重な特殊瞬間高火力を出せるふぶきを特性ゆきふらしのおかげで必中で打てる
  • 水タイプに対して押していけるフリーズドライ持ち
  • H振りするだけで雪下でガブリアスの地震を2耐えする物理耐久と、ブリジュラスの特化ラスターカノンをいい乱数で耐える特殊耐久

があると考えた。

一方で鋼、炎タイプには明確に弱く、ここに対して強く立ち回っていけるガブリアスを2匹目として採用。初手でバイバニラを出して不利対面はガブに引くという立ち回りを想定していたので、オボンのみを持たせたステロ+まきびし型にした。


ここから対戦しながら構築を固めていくなかで、イダイトウ、メガミミロップが強かったので採用。

イダイトウは最初はスカーフで採用し、バイバニラ+ガブリアスで場を荒らした後のスイーパーを担ってもらったが、スカーフのさらに速いスイーパーや一致技を半減で受けてくるポケモンの増加(スカーフガブリアス、マスカーニャ、サザンドラ、ヒスイダイケンキ、メガギャラドス、ミミッキュなど)といったスカーフイダイトウメタの激しさを感じたので、途中からしんぴのしずくAB振りに変更。スイーパーとしての汎用性のある役割を捨て、物理の瞬間火力による崩し枠として重宝した。

メガミミロップはねこだまし+マッハパンチを両採用することで擬似的にスイープ性能を上げてみたが、この構成のスイープ性能が高くて好きだった。また、イダイトウと合わせて相手のイダイトウの水+霊の一環を切れていることも評価した。


ここまでの4匹を使っていてイダイトウメタとフラエッテに強く出たかったのでアーマーガアを採用。対面操作をするよりは裏にまで圧をかけていきたかったので、ビルドアップ+ブレイブバードを使った。ミミロップの苦手なフシギバナにアーマーガアが滅法強いのもマッチしていた。このアーマーガアは詰ませ性能が高く、とても強かった。


最後の一枠はメガゲンガーとメガマフォクシーをコロコロ変えながら使っていたが、相手のアマガ、ハッサム、リザYなどへの優位性を考えてマフォクシーに落ち着いた。結果的にフラエッテ入りにもさらに強くなった。


ここまででおおよそ構築が完成し、最終日前日にR2540くらい、チャンピオン級ボーダーあたりの位置にいた。

完成した並び

完成した並びのステータス



最終日も上の構築を使って延々と戦っていたのだが、レートは終始2500前半で停滞した。

対戦していて、バイバニラがうまく機能しない試合が多くなった印象があった。また、スターミー、キラフロルの毒びし展開がめちゃくちゃしんどかったこともあり、ここに来て構築の起点であるバイバニラを抜いてブリジュラスを入れた。ブリジュラスは個人的に一番使い勝手がいいと持っているHDステロほえるで採用。ブリジュラスでステロを撒くことにした都合で、ガブリアスをスカーフに変更した。また、イダイトウに対してかなり対策が薄いと感じたのでこちらのイダイトウを気合いの襷に変更し、若干の補強をした。ただこれもあまり対策にはなっていなかったなと今になっては思う。

ブリジュラス入りの並び

ブリジュラス入りのステータス


この後何戦かしたがレートは上がりきらず、構築コンセプトが無くなった中で戦い続けるのは難しいと判断し、深夜2時くらいに撤退した。


最高レートは2580くらい。最終結果は冒頭に書いた通りレート2550、366位となった。



対戦の振り返り

SVのシーズン1は2000位くらいだったことを考えると、最初のシーズンの混沌とした環境の中で戦う力は前よりあったように思う。順位としては3桁前半は剣盾、SVでも取ったことがあり、ちゃんとやったシーズンとして実力相応な結果になったと思っている。その点では満足感がある。


同時に悔しさもゼロではない。

環境という面で言えば、最終日付近になってリザY+きりばらい持ち(ほぼアーマーガア、1回ハッサムも持っていた)が増えたのがきつかった。基本的にステロ+撒菱ガブリアスで見ていたのでサイクル負けすることが多かった。ただそれに対しての回答がうまく見出せず、その頃はゲンガーを使っていたがそれを抜き、マフォクシーで頑張るという結論に至った。個人的にここのマフォクシーの枠は最後までしっくりきておらず、構築をまとめ切れなかった感が拭えない。

なによりも、とにかく選出がまとまらないことが多すぎた。バイバニラ+ガブリアス+@1という基本選出を想定していたが、終盤になるにつれてバイバニラが活躍しにくくなり、毎回一から選出する3匹を考えるようになったのが良くなかった。結果として選出択のじゃんけんに対して自分なりの回答(迷ったらこれを出す、みたいな姿勢)を持てないままバトルすることが多く、選出で負けることが多かった。ここは明確に反省点だったと思うし、わかりやすくて強い選出パターンは持っておきたいと思った。今回の場合は軸となるバイバニラに限界を感じた時点で一から構築を練り直すくらいの気概があってもよかったのかもしれない。ただ使い慣れてないと練度が下がるという問題もあるのでこの辺りのバランスは難しい……

最終日のメモ。選出の決まらなさが滲み出ている



体力の衰えとの向き合い

構築とは直接関係ない内容なのだが、個人的に痛感したので体力・気力についても書いておきたいと思う。


完全に個人の事情だが、一昨年不安障害にと診断されてからストレス反応が動悸や息切れとして出やすくなった。症状自体はだいぶ落ち着き、今は日常生活にほぼ支障がないレベルに回復したのだが、今でも時々気分が悪くなることがある。

今回、不安障害に罹ってからは初となる真面目なポケモンバトルの取り組みとなったのだが、弊害として明らかに寝つきが悪くなり、寝ようとするとポケモンのことを考えてしまい動悸が出るという事象がたびたびあった。3-4時間寝られずに外が明るくなることもあった。終盤は対戦するにもかなり体力と気力を要するようになり、以前よりコンディションは悪いなと感じた。

なので、もし今後もガチ対戦をやっていく場合は自分のコンディションとのバランスを見極めることは必須だなと思った。長くポケモンを楽しめる範囲でやり切ったと思えるラインを探っていきたい。



締まりのない終わり方になってしまいましたが以上になります。ここまで読んでくださった方、ありがとうございました!

ポケモンSV対戦 振り返り

雑多なログレベルですが、SVも終了するということで、それなりに対戦していたシーズンについて記録として残しておきます。




シングル

記録

シーズン TN 最終順位 レート(小数点以下四捨五入) 勝-敗 備考
1 さみっと 1,926 2040 157-114
2 さみっと 278 2099 136-85 構築記事
2 スカーレット 423 2070 63-24 ↑と同じ構築を使用
3 さみっと 4,927 1825 79-54
4 さみっと 373 2019 68-32
4 スカーレット 717 1997 85-48
7 さみっと 7,291 1645 55-45
8 さみっと 458 2002 130-92 構築記事
9 さみっと 2,980 1783 93-69
9 スカーレット 589 1946 70-37
11 さみっと 811 1965 103-69
12 さみっと 1,519 1861 138-111
15 さみっと 2,796 1822 66-40
16 さみっと 1,356 1904 98-69
17 さみっと 5,010 1712 79-61
18 さみっと 956 1943 49-20
19以降 - - - - やってない

感想

前半結構やってた。ちょくちょくレート2,000超えてるシーズンがあるという感じ。

剣盾の時もそうだったが伝説バトルになるとモチベが下がる傾向があり、SVも伝説が参戦してからは遠ざかっていった。

剣盾で最終2桁を達成したがSVでは達成ならず。悔やまれるが実力相応という感覚もある。

ダブル

WCSの会場が横浜だった2023年の時だけ練習して公式戦に出場したが、付け焼刃のダブル知識では歯が立たず予選落ち。

ただこれがきっかけでダブルモチベが上がり、ちょいちょいランクバトルでダブルもやるようになった(順位とか気にせず、マスボで遊ぶくらいの温度)。

おわりに

チャンピオンズは買うし、買ったらどうせちゃんとやりたくなるのは目に見えてるので、自分なりに納得のいく対戦と実績を残したいなという気持ち。

剣盾以来の最終2桁の夢、追いたい......!

ポケミクライブがすごすぎて気づけば文章を書いていた

ポケモン feat. 初音ミク VOLTAGE Live!(以後、ポケミクライブ)があまりにも良かったので半ば衝動的に感想を書き散らす。あまりにも情緒が揺さぶられてしまい、何かを吐き出さずにはいられなくなってしまった。

※細かい楽曲の説明や考察はあまりしていません。感情の垂れ流しです

はじめに

とんでもないライブだった。

ライブを観てから、おれの心の中にうわ言のように「ポケミクライブって本当にすごくて」と繰り返しているだけのエリアが出現しちまった。

今までに観てきたライブというものの中でも群を抜いて心を動かされたし、群を抜いて余韻が続長引いてる。ライブを観てから4日経った今現在も、亡霊のようにポケミクの曲を聴き続けてる。なんならどの曲もライブを観る前より遥かに煌めいていて魅力的になっていて、ライブ前よりおれの熱量もデカくなってる。

ほんとうにとんでもない体験だったよ。

おれにとってのポケモンとボーカロイド

ポケミクライブは初音ミクたちバーチャルシンガーとポケモンがコラボしたライブで、2023年から2年ほど投稿されてきたポケミク楽曲をライブで披露するというものだ。

公式HP



おれはポケモンもボーカロイドもズブズブに通ってきている。

はじめてプレイしたポケモンのソフトはダイヤモンドで、そこからパール、プラチナ、エメラルド、ブラック、ホワイト2、ムーン、ソード&シールド、スカーレット&バイオレット、ZA、とプレイしている(実はちょくちょく抜けがある)。本編以外もポケカ、ポケモンGO、ポケモンユナイトとプレイしてきている。本編はブラックのころからずっと対戦をやっていて、ソード&シールドからは結構ガチでのめり込んだ。ちゃんと計算できないが、全作品のプレイ時間を合わせたら5,000時間くらいはある。ユナイトやカードも合わせたらもっとある。2023年にはWCSのイベントにも当たり、参加した。就活の時、自己アピールでポケモン数千時間やってますって面接で言うくらいには自分の中で特徴のある部分だ。もちろんその面接は落ちた。そんなことはどうでもよくて、おれにとってポケモンというのはバカデカい部分を占める一大コンテンツなのだ。

ボーカロイドはと言うと、2012-13年ごろから聴き始めた。カラオケで友達がマトリョシカを歌っているのを聴いて「いい曲じゃん」と思ったのがきっかけで、そこから自然と曲を漁り始めた。同時期にカラオケにもハマりだし、ボカロ曲を漁る→聴き込んでカラオケで歌う、のシステムのを完成させめり込んでいった。そこからは、多少の熱量のブレはあるものの毎年2-300曲は聴き続けてる。カゲプロが終わったころにハマりだし、シーンとしては陰りを見せたと言われたころにガッツリ聴いて、tiktokやYouTubeというマルチプラットフォーム、プロセカの流行を経て人気を取り戻し、それと同時に少しづつ一般への市民権も得て、ボカロ発アーティストが邦楽で幅を利かせるようになってきたその過程をリアルタイムで見てきた。2018年からは毎年マジカルミライに行っているし、ミクフェスやDJイベント、ヨルシカ結成前のn-bunaやピノキオピーの単独ライブにも行った。ボーカロイドもまたおれの青春を構成する一大コンテンツなのだ。



そんなもんだから、ポケモンとボーカロイドがコラボしてライブします!なんて言われたら、その宣言だけでもうとんでもイベント確定なわけである。

ただ、こういう背景があるだけでは「とんでもないライブ」だとは思えなかっただろう。でもポケミクライブは間違いなくライブとしてもとんでもなかった、これは自信を持って言える。

マジカルミライも毎年行っていていいな〜と思ってはいるが、物販はペンライト+‪α‬くらいしか買わないし、ライブも1公演みたら満足するし、めちゃくちゃ感動するということもほとんどない(2019を除く)。あと、キャラクター推しの概念が希薄で、初音ミクをはじめとする特定のバーチャルシンガーへの愛というものはあまりない。ボカロPや楽曲への熱量が主だ。だからキャラグッズに惹かれることはほぼなくて、代わりにボカロPのアルバムやライブにお金を落とすことが多い。

ポケモンもガチ対戦がメインだったから、ポケモンの世界が大好き! みたいな層とはうっすら温度差を感じている。WCSのイベントも世界ランカーたちのガチ対戦を目当てに観に行ったから、ポケモン文化の盛り上がりや一体感は二の次だった。もちろんそれ自体もいいとは思っているんだけど。 好きなポケモンは? と訊かれたらだいたいミミッキュ、ゲンガー、ナットレイ、メタグロス、クチート、あたりを答えるんだけど、これもだいたい対戦でお世話になったからで、バトル性能として気に入ってるというのが要素として一定を占めている。その上で見た目が良いとか雰囲気が好きとかがある。

ライブの感想

そんなおれがポケミクライブを浴びて、今まで観たライブではじめて、
・キャパってライブをn公演観ないと全て味わえない!と思ったし(1公演しかチケット買えておらず……)
・円盤絶対買う!と思ったし
・ドラムをやってるからライブ行くと必ず楽器隊の演奏を注目する時間帯があるのに楽器隊をほぼ見ずに終わったし(演出追うのに精一杯すぎて)
・ライブが終わっても亡霊のようにセトリを聴き続けてる

という状態になった。異常な体験だった。

まず、開始時にミクがミライドンに乗って登場した時点でうわあすげぇな、ミライドンじゃん!乗ってんじゃん!となった。ステージの周りの装飾が点灯していき、天井にあるモンスターボールが点灯して姿を現すのもテンション上がった。この時点で既にマジカルミライとは別ベクトルのライブで、めちゃくちゃポケモンの色が濃かった。

ライブが始まると、あまりの演出の豪華さに終始キャパオーバーしていた。序盤からバンバン火を吹いたり火花が散ったりしていて、「あ、火とかって序盤から出すのありなんだ、ほえ」となった。まず楽曲提供しているボカロPがボスラッシュみたいなメンツで、この楽曲で普通にライブするだけでとんでも豪華セトリなのに、演出も楽曲に全く負けてないというか、むしろ楽曲の魅力を引き出していて、それだけでなく楽曲単体とは全く別次元のコンテンツに昇華してしまっていた。序盤からアンコール後みたいな熱量で続いてて、その熱が全く落ちないまま、むしろそこから更に加速し続けてライブが終わるという、意味の分からない熱を出していた。アンコールのころにはもうライブの向こう側みてぇな熱をしていた。何らかの新記録に立ち会ってるような気分だった。

普段ライブを観るときって、曲が終わったら拍手したり「フォーーー」って言ったり「うおおおおお」って叫んだりしてるんだけど、ポケミクライブの時は曲が終わる度に「えぇ……やば……」「うへぇ、すげぇ……」と、事態を受け止めきれず心の内側が上手く出力に反映されない時に特有の、ちょっとドン引きしてるかのような声色を出していた。

例えばメロメロイドではクチートがステージに出ていて、6世代メガ進化環境でクレセクチートを使っていた身としてもうテンションブチアゲなのだが、そのクチートがラスサビあたりでメガシンカしたんですよ!! もうね「うわああああああ」ですよ、もう。曲全然頭に入ってこなくて、ステージの上のメガクチート以外の情報が入ってこないの。そしたら曲が終わって、「うわ……これやべぇ……」って口からこぼれるキャパ越えオタクが爆誕したわけ。メロメロイドは4曲目だったんだけど、曲中にメガ進化とかするんだ……そういうのありなんだ…… ってこの時点でもう異常なライブだということをまざまざと見せつけられた。

その後もとにかく演出だけでキャパがいっぱいになって曲とか演奏とかが明後日の方に行ってしまう瞬間が度々あった。ゴー!ビッパ団のビッパは可愛すぎてはじめてビッパに強い感情を抱かされたし、俺ゴーストタイプのゲンガーはゴーストそのもので釘付けだったし、ひゅ〜どろどろのミミッキュがミクに抱えられたり離されたりしているときの質感が本当にいる!って思ったし、ファサード・クエスチョンの間奏は〇‪✕‬‪‪クイズに全力で、だからこそ最後のメタモンがいるにはありえんびっくりした。この辺でもうキャパ超えすぎて麻痺ってて、チャンピオンのシロナ戦前の演出とかEncounterのルギアの演出とか絶対に刺さってるんだけどもう声として何も出力されなくなってた。

オーパーツのありえん作り込みの回文歌詞も絶妙な演出でそれと分かるようになっていて感動した。でもこれは初見だと流石にきついかもしれないとも思った。

エスパーエスパー、むげんのチケットではシンガーがポケモンの力で浮いてて、演出の幅の広さに度肝を抜かれた。

ポケットのモンスターのゲーム画面大集結はゲームの中にいるポケモンっていうおれの原体験を直で刺しに来てた。

ボルテッカー、電気予報はもう想像以上に電気の存在感が強くて、たぶんあの「ビリビリ!」のボリュームは不快に感じるかどうかギリギリのところを攻めてるんだけど、会場のボルテージとここまでの演出の豪華さも相まって全然快感だった。ありがとう。

Glorious Day、アフターエポックス、たびだちのうたでは18タイプイラストがこれでもかと演出に使われていて、しかもどれも違うみせ方をしていて、これも本当に豪華で意味がわからなかった。この辺になってくるともう感情もよく分からなくて、「なんかもう最高〜あ、ウッ……でへへ〜(アヘ顔)」みたいな感じだった。

クロスロード、もはや覚えてない。ブルーレイ観ます。

全曲あげてたらほんとうにキリないのでライブ自体の感想はこれくらいにしておく。

あとから振り返るとセトリもめっちゃ良くて、俺ゴーストタイプ→ひゅ〜どろどろのゴーストつながり、チャンピオン→オーパーツの人気キャラクターつながり、Encounter→きみとそらをとぶ→むげんのチケットのゆるやかな空のテーマ、ボルテッカー→電気予報のビリビリタイム、たびのまえ、たびのあと→ポケットのモンスターの旅テーマ、などなど、色々な共通項でつながるセトリになっていた気がする。

おわりに

今回のライブはそのあまりに豪華な演出、ポケモン30周年記念といった要素から採算度外視という噂もある。だとしたらこの規格のライブは今後そうそう出来ないような気がしてくるし、実際あれだけの演出を目の当たりにすると採算度外視というのも納得感がある。

ただの推測でしかないけど、採算度外視だからこそやりたいことを全て詰め込むようなライブが実現したんだろうなと思う。演出は豪華なだけでなく、3DCGの使い方や技術的な側面でもかなり画期的だった。ただ詰め込みたいということではなく、ポケモンの良さもボーカロイドの良さも殺さず、むしろコラボすることで単体では表せない場所に行けると、心の底から信じているが故の所業だったのんじゃないだろうか。

ポケモンと初音ミク(ボーカロイド)文化を互いに尊重し合い本気でコラボレーションするぞという熱量が、資本主義を超え、結果的にとんでもないライブを作り上げていた。そう言えるんじゃないだろうか。

少なくともこのライブは、ポケモンとボーカロイドが交わることで、それぞれの良さを引き出すだけではなく、「ポケミク」という交差点としての新しい熱が生まれ、それが明るい未来の種になる。おれにはそう映った。

最後に、公式HPのこのフレーズを引用して終わろうと思う。

キミの目の前で、夢と冒険と、未来と音楽が交わる!
どこまでも、ボルテージ!
ポケミクライブへ! レッツ ゴー!

何者にもなりたくない

書いてたら自認がブロッコリーだと気づいた筆者がクネクネと文章を書き連ねました。よかったら読んでやってください。


ある日、とあるDiscordサーバーに入るべく

半年前くらいにとある生成AI系のコミュニティに入った。Discordサーバーがあり、オーナーのAIガチ勢の人がキャッチアップしている論文・テックブログ・ビジネス系記事の要約が毎日50-100件くらい流れてくる。このオーナーはおれが以前書いたLLM無職出身者との邂逅という記事に出てくる人と同じ人で、いまや界隈のちょっとしたインフルエンサーという風格がある。


このサーバーに入るのに100人以上フォロワーのいるXアカウントを紐づけたDiscordアカウントが必要で、そのためにフォロワー50人ほどだったAI界隈のアカウントを積極的に運用した。


普段エンジニアとして働いているので、テックブログを書いたり外部の勉強会に参加した話を投稿したりという具合に、意識的にAI関連の話題を発信するようにした。結果として1か月ほどでフォロワーが100人を超え、目当てのサーバーに入ることができた。

Xのフォロワーを増やす作業って苦しい

フォロワーを50人→100人以上にするべく、ネットでXのフォロワーの増やし方を調べ、自分のできそうな範囲で実践した。


何となく、分かりやすいキャラクター性と一貫した投稿内容、一定以上の投稿頻度あたりがフォロワーを増やすのに大事だろうということが分かった。あと普通にそのキャラにニーズがあるかどうかもポイントっぽい。いくら分かりやすくても魅力がなければ見られないからね。


分かりやすいキャラクターというのは、「AIの最新情報を発信してる人」「政治に詳しい人」「ネタツイが面白い人」みたいなことだ。Xでフォロワーを増やす場合、分かりやすい軸があるほうが簡単らしい。特定の投稿を見てフォローした場合、それ以降も同じ系統の投稿が流れてくることを期待することが多い。AIのアカウントだと思ってフォローしたのに、次の日からひたすら政治の話をし続けられたら困るのだ。


そういうわけで、AIの仕事をしてることがすぐわかるbio、AI系に寄せてありきたりではなく一歩踏み込んでる感じのある内容、AI関連のイベントに参加してそうな発信、、、こういったことを心がけた。そしてこの作業が予想以上体力を消費した。おれにとってはかなり疲れるし苦しいものだった。


なにが苦しかったのか?


まず、自然と呟こうと思ったことを呟けない。キャラクターの一貫性を意識するとAI以外の話はあまりしたくないので、常にうっすらとネタを探すことにリソースが割かれる。常日頃からAIに思いを馳せているわけでもないから、多少頑張って投稿する必要がある。


そうして投稿内容がAI関連ばかりになると、そのアカウントでは「AI関連の仕事をしていて、AIに興味のある人」という側面しか表出しなくなる。もちろん嘘ではないが、自分の中の一面にすぎず、自然体の自分からはかなり遠い。アカウントを開いているときはよそいきの気分になるし、本当の自分を見てもらえてない感じがしてもどかしい。


おれって多面的で矛盾もしていて、うまく言葉にできない部分も結構ある。

おれはブロッコリーみたいな奴なんだ

昔から、「何かになりたい」という感情があまりない。その時その時のやりたいことを全うすることが楽しく、それを重ねて生きてきたという感覚がある。今はAIにハマっているが、ChatGPTが出るまでは統計に熱がこもっていたし、その前は実験室で新規化合物を作る大学院生だった。


たとえば初対面の交流の場では、軸がはっきりしている方がとっつきやすい印象を受ける。「私xxが好きでxxをやってるんです!」という紹介がシンプルなほどその後話しやすい感覚があるし、受け手としても得体が判明して信頼しやすい感じがする。


自分の中に大きな軸がある場合はxxが自然に定まるだろうし、「xxが好きです!」という発言を比較的違和感なくできるのかもしれない。でも、おれには分かりやすい大きな軸というものがない。以前は大きな軸を持っている人を羨ましいなと思っていて、一方で場当たり的に生きている自分に負い目を感じていた。ただ、負い目を感じることをある時からやめた。何度考えても軸を一つに絞れなかった。一つに絞るには、世界には魅力的なことが多すぎる。だったら場当たりなままいこうじゃないか。可能な限り全ての場と真剣に向き合っていこうじゃないか。そういう決意を秘めた。


その時その時のやりたいことと真剣に向きあい、大きな軸はない。一本の幹とは程遠い、言うなればブロッコリーのような生き方が自分らしい。収束せずどんどん広がっていく。たまに関連することもあるかもしれないけど、基本的にそういうシナジーは意識せず、奔放にやっていく。「たまたま関連を見出せたらそれはそれで嬉しいな~」くらいのノリでやっていく。

ブロッコリーSNSはやりたい

なのでおれはブロッコリーのごとく取っ散らかっているんだが、ブロッコリーSNSと相性が悪い。その時その時で自然と出てくる幹(実際は枝くらい)が変わるから、どういう人なのかが分かりにくい。自己紹介をしようものなら要領を得ない内容になってしまう。


あるいは、前述のAIアカウントみたいに頑張って一つの幹を決めて表そうとするとすごく疲れてしまうし、あまり続かない。実際、AIアカウントの投稿頻度はフォロワーが100人を超えてから目に見えて減った。


これはわがままだが、塊のブロッコリーのまま認知されたいと思うことが時々ある。あれも好き、これも好き、前やってたあれはもうやってない、でもこんな共通点があって、こういう傾向があったりする。色んな花蕾(ブロッコリーの先端の細かい部分をそう言うらしいよ)がミチミチしてるよくわからん奴、のままで受け入れられたいという気持ちがたまに表に出てくる。


よくわからん奴なんて他人から見たら規定しにくくて面倒でしかないとは思う。この早くて分かりやすい時代に、わざわざよくわからん奴のことを理解するのに時間を割こうとする人なんてまずいないだろう。こんなことを考えていると、やっぱり今のSNSでは自分の中の一面を切り出して存在するのがなじむ。


それでも、SNSをその人のすべてだとは判断しないようにしたいなと思うし、おれもSNSの人格がすべてだと判断されたらモヤモヤする。普段よくログインしているアカウントは割と雑多に運用しているとはいえ全ての面を自然に出しているわけではない。程度の差はあれ多くの人がそうなんじゃないだろうか。


複数のSNSを使う人が多いだろうし、それぞれのアカウントでの人格は少しずつ違ってくるだろう。リアルの人格もSNSとはまた違うはずで、同じリアルでもTPOによってまた変わってくるだろう。


そういった各コミュニティの総和が自分を形作っている。だからやっぱりSNSの中の一つのアカウント同士だけで交流しているFFの方々とは、あくまで一面だけ見ているんだなという認知を形成し合いたいと思うのであった……

文学フリマ初出店。そこは文学の下に奔放な場だった

先日「関口」という名義で初めて文学フリマ東京41に出店をしたので、きっかけや準備したこと、当日の気持ち、感想を書いていく。




きっかけ:エンジニアワイ、会社でエッセイを書く

今年の4月頃、会社の中で「みんなでZineを作ろうぜ」という活動に参加した。普段はエンジニアの端くれとして働いているので、この活動は通常業務とは全く関係なく、というか業務ですらない。一応会社にうっすら関係のあるテーマだったり作成したZineは顧客に配るのが主な想定だったりと仕事の要素はあるが、日々AIとじゃんけんぽんをしデータと睨めっこして昼を無に帰す業務とは全く関係がない。
そのZineは「人に社会に歴史あり」というテーマを掲げていて、そのテーマで各メンバー好きな記事を書きましょうというノリだった。そこでおれが書きたいと思ったのが昨年亡くなった父についてのエッセイだった。生前そこまで会話も弾まないままガン発覚から10日程度で急死してしまい、心残りがあったのをこのZineで消化しようとした。

エッセイを書き上げふぅと満足してAIとのじゃんけんを再開しだした頃、妻(当時はまだ結婚してなかった)に「これで文フリ出ちゃえば?」と言われた。文フリは昨年二人で来場者として初参加し、創作の熱にあてられ、帰るころには「次は出店側で参加するぞ!」と鼻息を荒くしたイベントだった。実はZineでエッセイを書いてる時もうっすら脳裏に文フリがよぎっていて、妻の一言も後押しとなってよっしゃ参加するぞ、となった。

準備:ドタバタの中にある

7月とかに申し込んで、8月下旬に出店できるで~という通知が来た。抽選かも……と言われていたので出られることが嬉しくて小躍り。
んで9月くらいから準備を始めた。

エッセイを出すべく申し込んだわけだが、今回はZineではなくエッセイだけで1冊の本になる。せっかくなので内容を増やすことにした。もともとは父を知る人々へのインタビューとそれを受けて思ったことを書いたエッセイからなるのだが、末期ガンの宣告を受けてから亡くなるまでの間に書いた日記をそのまま追加することにした。さらに追加で父の友人にもインタビューを行った。
ここまでは上述したきっかけの延長の準備、という感じなのだが、せっかくなので小説も出すことにした。3年前くらいの頃、失恋をしたりマルチに引っかかったりと乱高下していた時期があり、その渦の中で短編を書いていた。それらを本にまとめ、そこに書き下ろしとして一篇増やすことにした。

ぶっちゃけこの書き下ろしが一番時間がかかった。普段鍛えているAIとのじゃんけん力を発揮すべくAIとの共同執筆というギミックを設けてしまったのもその一因だろう。「AIに書かせるなら早そうじゃん!」と最初は思っていたが、ふたを開けてみたらおそらく自分だけで書くより時間がかかった。この話は別の記事に書いたので気まぐれに読んだりしてみてほしい。おれが喜ぶので。

mutimoumai.hatenablog.com


スケジュール的には、
・9月:小説の書き下ろし
・10月:小説の製本と印刷、エッセイの追加インタビュー、エッセイ追記、エッセイの製本と印刷
・11月:設営資材の準備、宣伝
といった感じで進めた。
拘束時間的には小説の書き下ろし>小説・エッセイの製本>エッセイ追記>資材準備、という感じで、AI小説書いてる時が一番しんどかった。
ただ完全に初めて行うという意味では、製本作業の方がドタバタ感が強かった。全く何も知らなかったので、とりあえずネットを漁り、どうやらInDesginというのがいいらしいぞ? ということを知ったり、でもInDesginって月額有料らしいぞ? 渋っ……と思ったり、え? Wordでもいい? おいおい早く言ってくれよジェシー、とアメリカンスマイルで表情筋をトレーニングしたりした。結局はありがたい有志のWordテンプレートを拝借して製本をした。ありがたい有志、ありがとう。

note.com


印刷も初めてのことで大変だった。こちらはインターネットで安いと評判の「ちょ古っ都製本工房」さんを活用させていただいた。安さは正義。全然比較してないけど皆が安いって言ってたから多分正義。

www.chokotto.jp


11月になってからいよいよ本番も近づいてきたということで、ブースの資材を作ったり宣伝に勤しんだりした。この辺は思ったほど大変じゃなかった。11月中旬にコロナになり5日くらい溶かしたが*1、それでも余裕があった。まあ、ブース作りは最低限「うちのブースです! エッセイと小説売ってます!」が分かればいいやという程度のこだわりだったのもある。テーブルの下に貼る垂れ幕(A3、2種類作成)、テーブル上にスタンドと共に置く看板(A4)、商品情報と値段が書いてある紙(A5、エッセイと小説それぞれ)を作ったが、Canvaのテンプレをペッと拝借し、ピュっと編集して完成した。この辺は改善余地がたくさんあって、垂れ幕はそこまで重要じゃなさそう、看板はもっとデカくていい・なんなら看板A3+商品情報A3をスタンドに挟んで掲げるぐらいでちょうどいい、意外とブース番号は要らなそうでブース名だけでいい、といった気づきがあった。商品情報と値段の紙とそれをアクリルスタンドに挟んで置いたこと、紙はラミネート加工して持って行ったこと、最低限ブースと売り物が分かればいいやのスタンスで行ったこと、とかはよかったのでそのまま続投したいと思った。
デザインについては全くの初心者でも意外と満足のいく内容に仕上がり、Canvaいつもありがとうと言う気持ちでいっぱいだった。別にそんなに使ってきてないけどCanvaいつもありがとう。これからもよろしく頼みたい。

そして宣伝。
宣伝活動をするのに苦手意識があったが、文フリ初出店、強いSNSアカウントなしということで、かなり意識して繰り返し繰り返し宣伝をした。出店数が3000以上なので普通に参加しても絶対に認知されないだろうと思い、とにかく認知や! というスタンスで宣伝した。Webカタログでは「もうすぐ退職します」というひとエピソードを差し込み、Webカタログの宣伝、お品書きの宣伝、直前には本の内容をチラ見せして宣伝、といった具合に繰り返した。もちろん末尾にはハッシュタグを添えた。
これは本当にやってよかった。体感で当日来てくれた方々の半分くらいが「Webカタログで気になって」「Xの宣伝で見て」「会場の見本誌を読んで」ということを言ってくれて、やはり認知、認知が購買に先立つ、まず認知より始めよ、千里の道も認知から、といった気持ちになった。



当日:ただ熱に浸かっていた

11時過ぎに会場入りし、設営をした。前日家でシミュレーションしたことも幸いし、スムーズな設営だった。初出店だったりかなりのブース数だったりということを加味してエッセイ20部ちょい、小説10部ちょいで臨んだが、開店前のタイミングでは「1冊でいいから誰かの手に渡って欲しい……!」という気持ちだった。最初にエッセイを書きだしたころから半年間、濃淡はありながらもずっと頭の片隅にはこの日があった。手間取りながらも準備を進めていき、SNSでは文フリ出店仲間と呼べるような人たちと知り合い、日常はぼんやりと、だがずっと、この日をめがけて進んでいた。やることはやった、あとは野となれ山となれだ。意外と緊張はせず、かといって高揚しすぎることもなく、売り子として来てもらった妻と雑談しながら開始を待った。「何冊売れたか確認できるように」と、妻がエッセイと小説のタイトルを裏紙に書いた。これで、売れたら正の字がついていく裏紙が出来上がった。準備は万端だ。

文フリは12-17時まで開催された。12時台は人が少なめという前情報があったので、妻にブースを任せ、あらかじめ気になっていたブースを巡った。この時は「12時台はまあ誰も来ないやろ」と思い、気楽に別会場のブースを中心に回った*2。30分くらいして戻ってきたら、妻に「売れたよ!」と言われた。全く予想してなかったので「っえぇ!?」とやや大きな声を出してしまい、正の字が2、3ついた裏紙を見てそれが本当に起きたことだと理解した。もうこの時点で 誰かの手に渡って欲しい! という願いは達成されたが、人間という生き物は欲深く、今度は 自分の手で自分の本を渡したい! という気持ちが膨らんできた。売り子を妻と交代してそのチャンスをうかがった。

ほどなくしてそのチャンスは巡ってきた。妻に「売れたよ!」と言われた時からなんだかふわふわとしていて、夢の中にいるような感覚があった。見本誌を読んで去っていく人*3。「私もあなたのお父さんと同じような仕事していて」と軽い雑談をしてくれる人。「これください」と言ってくれる人の声。「500円です」と応答するおれの声。チャリンとお金が置かれる音。渡されていく本。「ありがとうございます」と言って去っていく人の声。両隣のブースのやり取り。会場のざわつき。何人か友人や知り合いも来てくれたが、いつものように会話ができずどこかうわずってキレのない会話ばかりをしていたように思う。

その後も1冊、また1冊と売れていき、なんと終了の1時間半ほど前にエッセイが完売した。完売後、何人かに「エッセイありますか?」と聞かれ、その度にもっと印刷していれば……! という気持ちになった。こればかりは仕方のないことだが、ちょっと売れ残るくらいが一番気分が良いのかもしれない。小説についても終了直前に最後の1冊が買われ、結果として持ち込んだ本はすべて誰かの手に渡ることとなった。正の字が6個ほど書かれた裏紙も完売です! と言っているようだった。あまりに感謝の気持ちになったし、あまりに満たされてしまった。昨年創作の熱にあてられたおれは、まるでゆっくりと温泉に浸かった後のように創作という熱の中にあった。その熱は自分の内側から、あるいは来場者から、あるいはほかのブースから、この会場のあらゆるところからじんわり溢れていて、おれはただそれに浸かっていた。

こうして初出店は最高の結末を迎え、その後は最高に美味い酒で妻と祝杯をあげた。何を飲んだかあまり覚えていないが、最高だったことだけは確かだ。

感想:そこは文学の下に奔放な場だった

こうして振り返るときっかけから当日までずっと熱の中にあり、ずっと楽しかったと思う。もちろん構想、執筆、準備の各工程で違った辛さはあったが、土台にはいつも楽しさがあった。その楽しさの源は100%自分のやりたいという気持ちで活動していたことにあるんじゃなかろうか。誰からも命令されてない、おれが始めた物語。そこには自由だけがあった。

それと同時にがっつり自分の内側と向き合う期間でもあった。エッセイを書くにあたって父をどう思っているのか、誰に読んでもらいたいのか、読んでどうなってほしいのかなどを考えたし、小説を書くにあたって近未来はどんなイメージなのか、AIの進化をどの程度と仮定するとリアリティがあるのか、などを考えた。執筆作業も基本的に自分との向き合いの連続で、ほぼ確実に書く前には想像していなかったフレーズが出てくる。自分の中の色々な自分たちが顔を出し、まとまりがあるんだかないんだか分からない文章が構築されていく。見返すとほんとにおれが書いたのか? と思うような感覚になることもあって、それが不思議と心地よい。執筆作業は自分の内側の固くなった土を耕すような感じかもしれない。

本を作って文フリで売るという活動は作者が直接消費者とやり取りをする活動で、買い手との距離がすごく近いのも新鮮だった。新鮮というのは、普段の仕事はtoB向けにサービスを提供していて、作ったものが直接誰かに届くという実感が湧きにくいからである。最近は社内向けの業務改善も行っていてこれは割と直接届く寄りではあるが、個人対個人の距離の近さに比べると遠い。作ったものを「ありがとうございます」と言って買ってくれる人が目の前にいる喜び、さらに後日直接感想を言ってくれる人がいる喜びは、こねくり回す組織労働ではなかなか味わえないプリミティブな熱だった。

個人的には文学フリマという場が不特定少数を対象に創作物を売れるというのも合っていた。かれこれ8年くらいこのブログを続けているが、おれがブログが好きなのも不特定少数だからである。ブログはSNSに比べて見る人が多いわけでもなく、またSNSよりも読みに来るのが面倒な媒体である。内容も長くて分かりくいものが多い(このブログは特にそうだと思う)。ただその分、ブログは読み手に主導権のある媒体でもある。興味がなかったら開かなくて良いし、途中で閉じても良い。SNSだと不意に見かけてしまう、不意に読んでしまうことがあるが、ブログではそれが起きにくい。だからこそこちらも気兼ねなく好き勝手書けるし、良い意味であまり配慮しなくてよい奔放さがある。「おれはおれが良しとしたものを好き勝手やりたい放題やってるから、もし気になったら見に来てくれたら嬉しいぜ」というスタンスがすごく好きだ。おれはこの空気を文学フリマにも見出している。出店者たちはそれぞれの思う文学をやりたい放題やっていて、来た人も興味のままにブースに立ち寄って文学を消費していく。おれが不特定少数と呼ぶコンテンツにはこうした奔放さがあって、創作する側の自由と消費する側の自由のつり合いの上に成り立っている。文学フリマは文学の下に開け放たれている。上なのか下なのか分かんなくなってしまったが、よしなに受け止めてもらえればこれ幸いである。

長々と書いてきたが、文学フリマに出店する活動はとにかくいい体験だった。創作の熱は依然として灯り続けているので、再び出店したい。

*1:メイドインアビスの一気見や虚無tubeに勤しんだ

*2:おれが参加した文学フリマ東京41は会場が2階と3階(4階)に分かれていた

*3:ちなみに見本誌を読んでくれるだけでもとても嬉しい