無知蒙昧なセンテンス

その辺の社会人が色々なものの言語化を試みる場です。

本屋とわたし

休日に、目当ての本があるわけでもなく大きな本屋に足を運んで1時間くらいぶらぶらすることがある。習慣というほど意識はしてないけど、だいたい月に一回くらいはやっている。最近は電子書籍で本を買うことが多く、紙の本でもECサイトで買うことが増えてきたから、本屋で本を買う機会はぐんと減った。それでも足を運んでしまうのは本屋という場所が好きだからだ。
本屋では、なるべく色々なコーナーを見て回る1。 全てのコーナーに長時間立ち止まるわけではないけど、それでも各コーナーで平積みされている本くらいは目に入ってくる。すると、たいてい本屋に入る前は頭に全く思い浮かんでなかったような本が1冊は目に留まる。へえ、こんな本もあるのか、と思いながらいつか読むリストにメモをする2。 こういう想定外の出会いがあると心が浄化されるような気がして気持ちいい。ネットで本を買うとレコメンドの影響で似たような本ばかりでてくるので、どうしても情報が偏ってしまう。本屋にはそういう偏りがないから、自分の持ってる情報がまるで石鹸できれいに洗われているかのような感覚があるのだ。さながら情報のスーパー銭湯みたいだ。

スーパー銭湯要素を見出したのはここ数年のことだけど、本屋は昔からなんとなく好きで、それなりに通ってきた。

いつから本屋に行くようになっただろうか。記憶に残ってるなかで一番古いのは小学生のころだ。
確か小4か小5あたりのころだったか、親と一緒に星新一の文庫本をよく買いに行った。当時は中学受験をしようとしていた時期3で、自分は文章読解がかなり苦手だったので塾の先生に小説を読むことを強く推奨されていた。それまでの自分は小説などほとんど読もうとせずに時刻表や地図・広辞苑などを頻繁に広げるような変態ガキだったので、小説を読むことのハードルがとても高かった。だから、読みやすい小説の方がいいだろうということで星新一の本を勧められて読み始めたのだけど、これが完全にハマってなんだかんだ彼のショートショートを2,30冊くらい読んだ気がする。
それと歴史上の偉人の伝記にハマった時期があった。歴史といってもほとんどが戦国武将で、有名な武将の伝記を片っ端から読み漁っていた。そのおかげか、日本史の中でも戦国時代だけは異様に成績が良かった。
そんなわけで、このころはだいたい文庫本コーナーか歴史本コーナーに行っていて、それ以外の場所は目に留まってなかったように思う。あと本屋は広い場所だなあという印象があった。そこにはとにかく色んな本があって、でもだいたいの本がどこにあるのかわからないし興味もない、そんな感じだった。あでも、辞書とか図鑑のコーナーも時々見ていたかもしれない。

中学高校は電車通学だったので、学校帰りに一人で本屋に寄ることが多くなった。中学に入ってから本格的に漫画というものにハマりだして、文庫本のコーナーには相変わらず寄っていたが専らメインはコミックコーナーだった。中1の時に買ったライアーゲームが初めて一人で買った漫画で、日々新刊を心待ちにしながら読んでいた。だいたいどの学年でもクラスに漫画好きが何人もいて、各々が持ち寄って教室のロッカーとか机の中に入れて貸し合っていた。毎年色んな漫画が教室に蔓延り色んな作品を読める環境は端的に言って最高だった。持ち寄り文化の影響で周りと被らない作品を買うことが多く、少ないお小遣いのわりに知名度や評判を気にせず表紙買いをすることが多かった。色んな漫画の表紙とあらすじを見比べて、時には1時間くらいかけてピンときたものを買ったりした。小学生のころと比べると、一人で来ることが多かったのもあって本屋に長時間居座るようになった。本屋という場所はじっくりと迷う人にとても優しくて、「いくら迷ってもいいから、買いたいものを買いなさい」とでも言われているような空気が流れている。買うものに迷っているとき、他のお客さんもじっくり迷ってるような気がして、勝手に味方だと思って温かい一体感を感じたりする。こういう感覚は中学生のころに知ったんだと思う。
たまに買う小説は星新一ではなくなり、平積みされているものをふらっと買ったり有名どころを買ってみたりした。小説は常に若干のモチベがあるような状態でで年に数冊くらいのペースだったが、ハリーポッタードラゴンタトゥーの女といった海外小説を買ったり、旅のラゴスしゃばけみたいな国内小説を買ったりした。店頭のおすすめやあらすじを見てふらっと買うことが多く、作者もばらばらだった。
それと、色々なコーナーを回るようになったのも中高のころだった。実際に買う本はだいたい漫画で、たまに参考書とか小説とかを買うくらいだったけど、本屋全体をぐるっと見て回ると、雑誌とかビジネス書とか歴史の本とかわけのわからない専門書とか英語の本とか、色々な本があった。中でも印象的だったのは、端の方に売っていた25000分の一だか50000分の一だかの縮尺の地図だ。この地図はよくある書籍形式にはなってなくて、細かいエリアごとに大きな一枚紙の状態になって専用の棚に入っていた。こんなものも売ってるのか!と驚きながらその日は帰った記憶がある。といっても色々と見るのはたまにだったし、基本的には漫画コーナーを見ることが多かった。

大学に入ってもしばらくは同じようなスタイルで本屋に行っていた。相変わらず漫画をよく買っていたし、たまに気が向いたときに他のコーナーを見て回る。変わったことといえば参考書の代わりに講義に必要な専門書を買うようになったことくらいだ。といっても専門書はだいたい生協で買っていたので、本屋で見て回るのは相変わらず漫画コーナーとか小説コーナーとかだった。
大学3年くらいになると以前よりも色々なコーナーをじっくり見るようになった。このころから統計学に興味を持ち始めて自発的に統計関連の本を買うようになったのだけど、その影響か学術系のコーナーを見るのが好きになった。よく見ると、そこには統計学以外の数学書や生物・化学・物理・情報系といった理系の専門書、経済・文学・心理・哲学といった文系の専門書があって、学問の膨大な裾野の広さを30分そこらで実感できるようになった。ふらっと本屋に行くだけで人類の叡智の一端に触れてわくわくできるようになった。なんてコスパが良いんだろう!
あと、ビジネス・実用コーナーにも立ち止まるようになった。すると今まで漠然と嫌悪していた意識高い系(笑)みたいな本がいかにたくさんあるかとか、意外とそうじゃない実用書もたくさんあることとかが分かってきた。結構面白そうなタイトルの本もあって、興味のあるデータサイエンス系の本とか数学とか哲学関連のライトな本とかを中心に時々買って読むようになった。
大学院生になると、以前よりも難しい本を読むことへの抵抗がなくなってきていることに気づいた。研究をするようになって全然読み進められない論文を読むようになったり専門書の見開き2ページに1時間かけてひたすら行間を埋めたりするようなことが増えたからかもしれない。そのおかげか、刹那的じゃない面白さを持つ本にも興味がわくようになって、世界史の本とかサルトルの本とかを買って読んだりもした4。色々な本に興味を持てば持つほど本屋の情報量の多さにハッとさせられることが増えて、このころにはもう月に一回くらい立ち寄るようになっていた。

社会人になってからも院生のころと大きな変化はなくて、本屋に行くときは色々なコーナーを見ている。違いがあるとすれば、仕事をするようになってビジネス関連の本を手に取るようになったことだ。といっても自ら進んで読むというよりは会社にビジネススキル学んでます感を醸し出すために買うことが多いのだけど...有名なビジネス書にも手を出したりしたけど、依然として興味は持てなかった。まあ社会に出たくらいで急に嗜好が変わるわけではあるまい。
あと、前よりもさらに垣根なく本を見るようになった感じがある。突然フェミニズムの本とか猫特集をしてる女性誌とかピアノの入門書とかを買ってみたり、怪しげな心理の本とかニッチなカルチャーの本とかも目に留まったりするようになった。特定のジャンルへの興味はもちろんあって、興味のないジャンルの本もたくさんあるのだけど、そもそも自分の知らないこと全般に魅力を感じるようになったんだと思う。だから漠然と全エリアの本を見て回りたくなるし、冒頭に書いたような気持ちよさを感じるようになったのもそういうわけなんだろう。もしかすると、本屋という場所は自分にとってサウナみたいな役割があるのかもしれない。

大きな本屋に行くとたいてい面白い発見がある。そこには知らないことがたくさん並んでいて、面積はせいぜい東京ドームの10分の1しかないけどそうは思わせない濃密な空間が広がっている5
たかが本屋、だけどそれは家から1時間もかからずに行ける、大きな大きな世界。たくさんの既知とそれよりもたくさんの未知に満ちている、ぼくらのアトランティス

あなたも、ふらっと本屋に立ち寄ってみてはいかがだろうか。


  1. 1フロアなら全体を一周することが多いけど、新宿の紀伊国屋のように何階もあるような本屋だと2,3階ほど回って帰ることが多い。

  2. 本当はその場で買ってしまいたいけど、最近は家の本棚がパンパンなのでメモって後で電子書籍で買うことが多い。メモったまま買えずにいる本もたくさんあるけど…

  3. 我が家は特別教育意識が高い家ではなかったので珍しく自ら志願して(どちらかといえば塾の先生の言いなりで)中学受験したのだけど、それはまた別のお話。

  4. 実存主義とは何か』という本を唸りながら一周したけど、あまり理解できた感触はなかった…いつかもう一周したい。「哲学書は原語で読め」とよく言われるけど、哲学くらい思考の内容が重要になってくると思考が言語によって形作られることによる影響が大きいんだと思う。だからきっと原語じゃないと伝わらないニュアンスとかがあって、そのニュアンスがかなりキーになったりするんだろうな…

  5. 東京ドームは14000坪くらいで、大きな本屋は1000-2000坪くらいらしい。