無知蒙昧なセンテンス

その辺の社会人が色々なものの言語化を試みる場です。

この日も猫は猫だった。

はじめに。

好き勝手書いています。ご容赦ください。

 

 

 

一人暮らしをしてから丸二年が過ぎた。

 

近所には割とたくさん猫がいて、多いときは家から最寄り駅までの道で4,5匹見かけることもある。

引っ越した直後は初めての一人暮らしや大学の研究室、そして人間関係と、自分を取り巻くあらゆる環境が変化したタイミングだった。そんなことはお構いなしに、猫は日中は日の当たる場所に出没しては気持ちよさそうに昼寝をし、夜になると時々鳴いているのが家から聞こえた。自分は大の猫好きで、猫の動画は頻繁に見ているし気に入った画像はすぐ保存してしまう。なのでもちろん実物の猫を見てもとても癒されるわけで、一人暮らしを始めた直後の環境が変化していた時なんかは特に心の安らぎとなっていた。変化する自分と対照的に猫はいつも同じような行動をしていて、ただ可愛いだけでなくその変わらない行動を見ると安心感も同時に感じられた。

そういうわけで、通学の行き帰りで自然と猫を探す癖がついた。

振り返って見ると一人暮らしを始めた直後に限らず変化の起伏は大きく、すべてが落ち着いている時期はなかったように思う。研究は時期によってかなり忙しさに波があるし、この二年間で始めてやめたバイトも複数あった。基本的に家と研究室を往復するだけの生活をしていた割には人間関係にも起伏があったし、去年の夏~今年の3月くらいまでは就活もしていた。資格をとったりもした。自分を取り巻く物事の起伏が大きければ当然感情の起伏も大きく、ここ二年は人生で最も感情の振れ幅が大きかったように思う。そんな時期だったからこそ、どんな時も同じ行動をしている猫を見ると特に癒されていた。

 

閑話休題

 

こないだ実家に帰る機会があった。自分は一人っ子で、実家には両親が住んでいる。両親は共働きで、どちらも仕事をしている。

一人暮らしをしているとどうしても食事が貧相になりがちなので、実家に帰るたびにご飯の品目の多さや豪華さが嬉しく、多幸感に包まれる。この時も例外ではなく、夕食はハンバーグがメインディッシュだった。我が家は全員酒好きなこともあり、実家に帰ったときは基本的に食卓に酒が置かれる。この日は赤ワインが置かれていて、母が食卓に皿を並べ終えたタイミングで父がワインを注いでいた。これは一人暮らしをする前からよく見かける光景だった。自分は父がワインを注ぐ光景をぼーっと眺めていた。前からよく見ていたその光景は、一点だけ違っていた。

 

ワインを注ぐ父の手が、震えていた。

 

ワインを持つ一方の手が明らかに震えていて、父はもう一方の手でかばいながら注いでいた。これを見た時、「ああ、いよいよ症状が進んできたな」と思った。案外強い感情は抱かなかった。

 

母からちょくちょく聞いていた話から推測するに、父は間違いなくアル中である。

正確にいつからなのかは分からないが、自分が一人暮らしを始めてから本格的にそうなったように見える。母曰く、休日は朝から晩まで日本酒を飲んでいるそうだ。最近は紙パックの2Lくらいの酒を自分用に買っているらしく、嗜む要素は0でただただアルコールを摂取できれば良いというスタンスなのだろう。

我が家は母と自分の波長がかなり合い、実家にいた頃から母と自分が話している割合がかなり多い家庭だった。母はある意味で友達に近い感覚もあり何でもない雑談をよくしていたが、一方で父と雑談を話すことがあってもあまり続けようとは思えなかった。相性ってやつなのだと思う。続けようとするとなぜかイライラしてきてしまい、会話をやめたくなってしまうのだ。最近でこそイライラする前に会話をフェードアウトするようになったが、実家にいた頃はいら立ちを露わにしていた。お互いにストレスになっていたと思う。

そういうわけで、家庭の中ではどうしても父が孤立しがちだった。父は穏やかな人で、基本的に波風を立てないタイプなので孤立した状況に対して何か行動を起こすこともなかった。おそらく、自分が中学生になった頃からこの構図は確立していた。長年この構図だったことと、父が今アル中になっていることは多分関係があると思う。もちろんこれだけではないが、大きな要素だと思う。アル中になったことをこれだけ淡々と書けるのは、自分と父が仲良くないという点が大きい。

こういう書き方をすると、あまりに冷酷でひどいように映るかもしれない。ただ、これに関しては「どうしようもなかった」という気持ちしか抱けない。父と会話してるだけで理由もなくイライラしてしまうのに、仲良く接することができるほど人間としてできてはなかった。いら立ちを素直に出してしまうのは良くないし、もうちょっと穏便に済ませていればここまで孤立した構図にはならなかったかもしれないが、何となくどうにもできなかった、という気持ちが強い。母も自分も明らかに無視したり露骨に父に会話を振らないというようなことはなく、家族三人いる時や父と二人のときは普通に会話をしていた。ただ、会話の中で明らかに父がずれてしまう(こういう言い方は良くないかもしれないが他に思いつかない)ことが多く、自分や母がいら立つことが多かった。多分、いら立たないように行動すると父が会話に参加しなくなり、結局孤立する構図からは逃れられなかったと思う。弁明するつもりだったけど、これだとひどい奴のままかもな。まあでも、これ以上弁明のしようもない。

 

こういう家庭だったために、父の手の震えを見たのはこの日が初めてだったがさほど大きなショックは受けなかったのである。この時は憐れみの感情とどうにもならないという諦めの感情しかなかった。社会人になって経済的に自立したらいよいよ縁遠くなるしあんまり関わりたくないなあ、といった感情さえあった。こうして文字にするとかなりクソみたいな考え方をしてる。親不孝も良いところだ。

この一件は食事の後父が席を外したタイミングで母に伝えたが、母は言われて初めて気が付いたらしく、そこそこ驚いていた。とはいっても普段の父の酒の飲み方からすると自然な成り行きだったし、驚きは割と一瞬でその後は深いため息をついてあきれているようだった。

 

手の震え以外には特に変わったこともなく、翌日の午後に実家をでて一人暮らしの家に帰った。

最寄り駅から家までの住宅街を歩いていると、この日も猫を見かけた。猫は家の塀に頭を奥、尻尾を手前にして座っていて、こっちから見ると尻尾と背中が見えた。普段は地面に寝そべっている姿を見かけることが多かったので、この日は猫との距離がやけに近く感じた。

丁度真横を通るタイミングで猫はこちらの気配を察したのか、頭を上げてこちらを向いた。多分警戒したのだろう。この日もなんてことない平和な休日の午後で、まったりとした時間が流れていた。しかし猫と目があった時、自分の中に流れていた平和な時間は急に終わりを告げ、心の底の方にあった感情がドロッと動くのを感じた。次いでこみ上げてくる何かをぼんやりと知覚しながら、脳内では手の震える父の姿が鮮明にフラッシュバックしていた。

 

この日おれは、おそらく猫を見て初めて泣いた。

 

猫は気だるそうな表情をしていて、おれが離れていくまでじっと見ていた。

 

この日も猫は猫だった。

 

 

 

終わりに。

この話が実話かどうかは、明言するつもりはありません。