無知蒙昧なセンテンス

その辺の社会人が色々なものの言語化を試みる場です。

してきな気づき

先日見たトーク番組で、出演者がそれぞれ人生のスタンスのようなものを言っていた。生涯現役とか自由奔放とか現状維持とか、そういった単語が飛び交っていた。
素敵だなと思った、率直に。(詳細は省くが)どれも魅力的に映った。それと同時に、どれも生きる道筋がかなり直線的に感じた。もちろんテレビ番組のOAのわずか数分だから出演者の考えのほんの一部しか見えてないというのはあるが、とりあえず憶測せずに自分が感じたままを書いていく。生きる道が真っ直ぐ続いていて、その道を駆け抜けていくぞという意志を感じた。真っ直ぐと続く道の先には、はっきりとした像があるのかな、という気がした。目的地が具体的じゃないのに揺らぎのない道を作ることは無いだろうし、なりたい像がくっきりと見えるから真っ直ぐな道を引けるんだろう。

じゃあ、自分はどうか?どんな道を引いてるのか?その先にどんな像が見えるのか?

多分、すごく幅の広い道を引いている。どこにでもいけるよう幅が広くなっているけれど、どこにも行けないような気がしてる。像なんてものはなく。未来というものは全然イメージしてなくて、その時その時の自分の意思にただ従う。そんな風に生きてるから、一貫性とはさらさら縁がない。
自分で立てる目標はだいたいこぢんまりとしたものが多いし、比較的楽に達成してまた別の目標を立ててきた。達成出来なさそうな目標を立てることもあったけど、そういう時に無理して達成しようとはしてこなかった。一生をかけるレベルのデカい目標もないし、壮大な野望とかもない。

そう、思ってきた。そうやって、生きてきた。

最近、とある漫画を読んだ。その漫画の中に「強さと弱さを併せ持つ」キャラクターがいる。本人は無自覚なのだが、徐々にそれを自覚していく。
それと最近、とある会社の社長の方と話をする機会があった。その人は終始物腰が低く謙虚で、いい意味で全然社長であることを感じさせなかった。だけど会話の端々からは確かな自信が伺えて、それは無意識のうちに漏れ出ている、といった感じだった。全然嫌味のない自信だった。解散した後に知ったことだが、会社ではめちゃくちゃ厳しくて怒鳴ることも日常茶飯事なのだそうだ。いわゆる敏腕社長の類なのだろう(蛇足な推測)。

強さと弱さを併せ持つ。自信と謙虚さを併せ持つ。

ずしっと、心に響くものがあった。何かを極めることとはある意味対極にあるもの。どこにも行けないのにたどり着ける場所。
中庸。漫画ではそう表現してあった。
メソテース。とある哲学者はそう表現した。
思慮。その哲学者は、これを知ることをそう呼んだ。
昔何となく覚えた倫理の単語に、始めて共感が伴った。


ぶっとい道の行く先が、少しだけ見えたような気がする。