無知蒙昧なセンテンス

その辺の社会人が色々なものの言語化を試みる場です。

宝塚を観た 2402某日

知り合いに宝塚好きがいて、良かったらどう?と誘われたので観に行ってきた。

前置き

観てきたのは星組公演の『RRR × TAKA"R"AZUKA ~√Bheem~(アールアールアール バイ タカラヅカ ~ルートビーム~)』および『VIOLETOPIA(ヴィオレトピア)』で、劇場ではなく映画館のライブビューイングで観た。 宝塚は母親が好きで、5つの組に分かれている、男役と娘役がいる、各組にトップスターがいるといった事柄は元々知っていた。ただそれ以外のことはほぼ知らないと言って差し支えなく、先入観を抱くほどの知識も持ち合わせていなかった。そもそもまともに舞台観劇をしたことがなく、舞台というものを全然知らない状態で臨んだ。今回観たうち前半のものは映画『RRR』を舞台化したもので、『RRR』は映画を観ていたので初めての舞台観劇として向いていたように思う。

ここから感想

全体を通して、美しさとかっこよさの流星群を浴びせられたような感じだった。

会場が映画館ということで映画のような心持ちで臨んだが、実際は映画よりもずっと体力を消費した。休憩込みで2本あわせて13:00-17:30と時間が長かったことも原因だと思うが、それ以上に舞台の臨場感や距離の近さが要因にあったと思う。とにかく密度が濃く、映画を観ている時よりも色々な情報・感情を脳が処理しているような感覚があった。例えばRRRの中では火事で燃えている中ビームとラーマが見事な連携で少女を救うシーンがあるが、映画で観た時は主にビームとラーマの動きと少女の表情だけを追っていて、燃え盛る炎には目がいかなかった。一方舞台だと複数人が赤いリボンのようなものを持って演舞をすることで炎を表現しており、人物だけでなく炎の動きにも注目していた。他のシーンでも雑踏の人々の営みや感情表現の演舞など、映像では無意識だった部分を意識しながら観ていた。 こういった物語の体験は間違いなく舞台の魅力だろう。

役者は皆美しいだけでなく、素人目にも分かるくらい確かな技術力を持っていた。舞台では歌と踊りと演技が繰り広げられるが、そのどれもが完成されているようで見応えがあった。特にトップスターの礼真琴さんは歌も踊りも演技もとんでもないクオリティで、ライブビューイングの画面越しとは思えない迫力だった。歌が演技が踊りが、こちらに向かってガンガン届いてきた。宝塚版RRRは映画の半分ほどの時間なのだが、それでも違和感がないどころか映画と遜色ない物量を感じさせる内容だった。役者の技術力が舞台をさらに魅力的なものにしていたのだと思う。

観劇した後、漠然と宝塚には宝塚の文化があるんだなあ、と思った。どういう文化なのか、一回観ただけでは上手く言葉に表せなかったが、その要素として宝塚のスターという要素が深く絡んでいるような気がする。 宝塚のスターにはそれぞれにファンがいる。初めて観ただけでも礼真琴さんはかっこよかったし舞空瞳さんはとても可愛いかった。1回で名前を覚えてしまうくらいには印象的だったから個別のファンがいるのもすごく頷ける。この個人の魅力はアイドルのそれに近いなあと思いつつも、各々にすごい技術力があり舞台全体を魅力的なものに作りあげているのはどちらかと言えば職人的だった。そして、職人に対して覚える感動のようなものを感じた。さらにはスターへの憧れがファンの中に強くあるようにも感じられて、こうなりたいという対象にもなっている気がした。スターはアイドルとして推され、その技術で感動させ、憧れとして崇拝される。実はアイドル、技術への感動、憧れ、の要素が共存しているのってめちゃくちゃすごいんじゃないかと思う。アイドルを推すのは特定の相手に対する強い感情(二人称的)で、技術への感動は他人への強い感情(三人称的)、憧れは自分をベースにした強い感情(一人称的)、と言った感じで全ての人称で強い感情が引き起こされているんじゃないか、と思ったりした。 (この辺りは自分の造詣が浅く、上手く整理できていない)

ぼんやり感じた「文化があるなあ」の内容はこれだけでは表せてないし、そもそもスター性の話自体が的外れかもしれないが、そこには確かに宝塚の文化があったし、尊い空間がひろがっていたのは間違いない。