無知蒙昧なセンテンス

その辺の社会人が色々なものの言語化を試みる場です。

それ、実は誤解なんです

こんにちは、さみっとです。

「馬鹿にしてるでしょw」
こういうことを割と昔からよく言われるんですけど、内心では毎回うーん違うんだよなぁという気持ちになってて、でもハッキリと言葉にできないから「まあね」とか「ああ」みたいな反応をしています。
言われる理由はそれなりに分かってるつもりで、だいたいは自分の言い回しとか言葉のチョイスのせいなんですよ。馬鹿にしてるなって思わせちゃう時は基本的には誰かのことを言及してる場面で、こっちが話してる時です。自分の場合、話してる時に相手が退屈そうなのかどうかってのを物凄く気にする節があって、無意識の内に相手の表情や相槌の温度、空気感とかを確認してしまいます。それで退屈な気配を感じ取ると全力で話を畳みにかかります。どうでもいいですけど畳もうとする時はやや早口になることが多い気がしますね。で、これが馬鹿にしてることとどう関係するかと言うと、相手を退屈させないようにと無意識で思ってると言動が極端になるんですよ。悪くいえば誇張です。細かいこと一つ一つに大きな感情を持ってるわけじゃないですが、それを会話でそのまま伝えてしまうと多分話の起伏が少なくなってつまんなくなっちゃう。それで、そういう細かい部分を大袈裟にして伝える。その時に言葉のチョイスが尖って、相手に伝わる時に「馬鹿にしてるでしょw」って思われるんじゃないでしょうか。
これは自分の中で無意識にやってしまってる事なので言語化したのは初めてなんですけど、割と的確なんじゃないかと思います。「お前会話盛るよなーw」って言われたこともありますけど、これも同じ理由です。会話は伝達手段ではありますが、個人的に何気ない雑談や日常会話では相手が退屈しないことを重視してると思います。「相手を楽しませたい」、「自分と関わる空間は楽しい空間であって欲しい」という感情が根っこにあるんですよね。だから逆に退屈して欲しくないし、つまんないって思われたくはない。内容を正確に伝えきるよりも楽しいとか面白いっていう感情を抱いてもらいたいと言っても過言ではないかもしれません。まあその結果誤解されてるのはちょっとやりすぎなのかもしれないですけど…
この感覚、実は小学生の頃からあって、結構しっかりと根付いています。なんで芽生えたのかはよく覚えてませんけど、会話してて相手が笑ってるのを見ると嬉しいとか、喜ばせてる自分に酔ってるとか、相手の反応が良いと受け入れられてるような気分になって安心するとか、その辺なんでしょうかね。

「なめてるなーw」
これもまあまあ言われます。これを言われた時も「馬鹿にしてるでしょw」の時と同じような反応をしています。だいたい言われるのは自分の発言ではなく、自分の取った行動とか態度に対してですね。大胆に講義をサボったり授業態度が悪かったりした(これは高校時代ですね)時に言われてきたセリフです。こう言われた時もやっぱりどこかで違うんだけどなぁっていう気持ちになってます。
「なめてる」っていう単語は少なからず何かを見下すようなニュアンスが含まれてる気がしますけど、見下してるからそういう行動をしてるわけではないんです。サボるのは面倒だとかサボった方が楽しいとかそういう理由であって、先生を見下したり、たかをくくってたりはしてないです(本当ですよ!)。相手を見くびってるというより、自分がそうしたいからそういう行動をとってるんです。ただその行動で相手や周りの第三者が受け取る気持ちには間違いなく「なめてる」が含まれると思うし、自分も逆の立場になったらそう思うので、「なめてるなーw」って言われても仕方ないかなとは思います。
「なめてるなーw」の場合、「馬鹿にしてるでしょw」とは違ってそう受け取られても仕方ないなっていう感覚が強いので「馬鹿にしてるでしょw」ほど訂正したくはなりませんが、もし見下してないっていう気持ちがちゃんと伝わるなら訂正したいですね。でも多分これは無理です。自分がそういう行動を取らないようにした方が早いです。

とまあ言い訳がましい記事になりましたが、どっちにしてもひとつ言えるのは「見下してないよ!」ってことです。自分の性格上、人を見下すより優越感に浸って喜ぶタイプですし、人に嫉妬するより劣ってる自分を悔しく思うタイプなので、人を見下すことはないです。

では。