無知蒙昧なセンテンス

その辺の社会人が色々なものの言語化を試みる場です。

社会で生きるということ

こんにちは。

今年も3分の1が過ぎ去り、無駄に暑い日が多くなってきましたね。

 

自分はまだ大学生なのですが、社会人生活が徐々に近づいてくるにつれて社会とか将来、みたいなことを思索することが増えてきました。そこで今回は、迫りくる社会人生活について思ったことを書いていきたいと思います。とはいってもそんなに長々と書くつもりもないので、今回は一つのテーマについてだけ書きます。そのテーマはまあタイトル通りなのですが、「社会的に生きるとは?」です。

よく巷で「社会的に死ぬ」ってフレーズ聞くじゃないですか。最近流行りの○○ハラとかもその系統ですよね。こういうの聞いてると社会ってのはよっぽど死ぬ確率の高い戦場なんだろうなぁとか思っちゃうわけですよ。じゃあ社会的に死ぬってなんや?って疑問に思って、そもそも社会的に生きるってどうゆうことやねん!って思ったわけです。そんなこんなで今ブログを書いてるわけです。

社会的な生死の話に行く前にまずは普通の生死の話から入りたいと思います。普通の、てのは「生物学的な生死」って意味です。これはとてもシンプルなことで、生命活動を維持できていれば生きていることになります。つまり、外部から酸素や栄養素を取り込み、一定時間睡眠するということですね。逆に言えば、これらを怠ると死にますね。もしくは意図的に命を絶てば死にます(当たり前ですが)。この記事では死に方ではなく生き方について書きたいので、意図的に死ぬ方に関してはこれ以上触れません(前述した○○ハラとかはどっちかというと意図的なのでここでは触れません)。

で、生物学的に生きるために必要なこと(要は食事と睡眠)をまとめると、自分の身体を最低限労わることが生きる条件になってると思います。もっと突き詰めると、自分の身体に最低限の関心を持っておくことだとも言える気がします。なんでわざわざこの話をしたかというと、社会的に生きるのも基本的には同じことだと思ったからです。つまり、社会に最低限の関心を持っておくことがその条件なのではないでしょうか?人と関わったり、社会的な生活を営むためにお金を稼いだり、食べる寝る以外の文化的な行動(家や自身を清潔に保つ、服をそろえる、趣味をやる、、etc.)をしたり、といったことをするには社会に目を向けておく必要があると思います。社会的に生きることは人間が人間であるためにかなり重要な要素だと思うので、社会への関心は失わないようにしたいですね…

社会に関心を持つとは言いましたが、そうすると今度は具体的に何をすればいいのか、という話になってきます。まあこれはそんなに難しく考えずに、とりあえず日々のニュースをチェックしておくとかでいいんじゃないでしょうか。文字通りテレビとかで報道されるニュースしかり、個人的に気になる情報しかり、です。あとは自分の入りやすいコミュニティに入っておくとかもありますね。ただ、自分に合うコミュニティを探すのは意外と難しいことかもしれません… なので、とりあえず何らかのコミュニティに入っておく、ぐらいの感覚の方が丁度よさそうですね。例えば仕事をしていれば(相性は別として)仕事仲間が存在するだろうし、学生なら周りに同期が存在するので、別に事務連絡以外の関わりがなくてもコミュニティには入っていると言えます。ただ、不登校とか無断欠勤が続くとなると話は変わってきて、こうなるとコミュニティに入ってる感は薄れていく気がします。なので、自分の性に合ってなくても属してるコミュニティに参加している、ということが大切なのではないでしょうか。

最近ではSNSが発達してきているので、SNSを活用した方が自分に合うコミュニティを見つけられるかもしれないですね。別にコミュニティを探そうとしなくてもSNSで情報を集めるだけでも十分社会に関心を持ってると思いますし、SNSの方が気軽なので、割と活用した方がいいような気がします。

 

社会、おそらく今後死ぬまで付き合い続けないといけない相手なので、上手いこと立ち回っていきたいです…

では。