朝9時、起床。
自律神経は相変わらず失調気味。もはや体質と言ってもいい。
寝起きは比較的良かった。朝9時にアラームが鳴ったらいつもは死ぬほど体がだるいのだが、この日はかなりだるいくらいで済んだ。
朝10時、研究室へ。
特に書くことはない。いつも通りの眠気とだるさ。
午後3時、一時帰宅。
オンラインのイベント(懇親会の類)があり、それに参加した。
後半は飲み会になっていて、そこそこ食べ少しだけ飲んだ。
結構疲れた。
午後7時、再び研究室へ。
家と研究室を二往復する、何とも慌ただしい一日である。
この時点でかなり眠かったので、少し作業をしたら帰ろうかと思っていた。
あとは昼に使った測定機器の電源を落として帰るだけ、という状況になったのだが、この機器は助教さん立会いの下で操作しないといけなかった。
ところが助教さんは教授室に入ったきり全然出てこない。研究室に着いたときからずっと教授室に入っていて、この時点で午後9時。
流石に電源を切らずに帰る選択肢はないので、待つ必要があった。というか待つ以外に選択肢がなかった。
どうしようもない苛立ちとどうしようもない眠気で一杯になって、どうしようもなくコンビニに行きどうしようもなくこってり系のラーメンを買った。さっき食べたのに。結構満腹なのに。それくらいどうしようもなかったし、何ならこの時は空腹感すらあった。なので余裕で平らげた。
助教さんは一向に出る気配がない。覚悟を決めてインスタントコーヒーを淹れた。
なんとなくデスクワークをしたりちょっとした実験をしたりしたが、気分的にどうしようもなくなっていたので音楽を聴いた。
ヒトリエの新曲を聴いた。
わずか4分で感情が蘇った。ついでに疲労感がどこかに飛んで行った。心の空腹はこってり系のラーメンでなく4分間のヒトリエによって満たされた。
午後11時
助教さんが漸く出てきた。本当に長かったが、空腹が満たされたこともあって案外しんどくはなかった。
やっとのこと機器の終了操作を始める。この機器、実は終了操作を始めてから電源を落とせるようになるまで30分かかる。ここまで来るともうそんなことで感情は乱されない。
この30分の間、助教さんと研究の話をした。はじめは自分の研究内容に対する助言で、ありがたく聴いていたのだが、後半になると研究とは?という抽象的な話に変わった。
正直、めちゃくちゃ面白かった。どれくらい面白いかと言うと、就活時に自分から進んで専攻分野外の会社ばかりを受けた大学院生がこのまま博士課程進むのも魅力的じゃん、って思うくらい面白かった。
研究はずっとやらされているという感覚しかなかったが、この時はじめて自ら研究をやろうと思えた。闇雲に与えられたテーマを進める研究と、自分から筋道を立てて進める研究ではここまで景色が違うのかと思った。意識が変わった瞬間見え方が変わるとはこのことである。
この話をしている時、普段淡々と話す助教さんが珍しく熱くなっていたのも印象的だった。「本当はこういうこと(自分で筋道を立てて研究を進めること)をサポートするのが助教の役目なんだけどねぇ」と話すその表情からは、静かながら大きなエネルギーが感じられた。助教という存在に対して、知識面で学生のサポートをしてくれる人という印象が強かったが、そうではなかった。本当はもっとでかい部分をサポートする人だった。
研究室に入ってから三年弱、思わず記事を書くくらいには研究の負の側面ばかりが目立って見えていた(※)。だがこの時初めて強烈な正の側面が見えた気がした。少なくとも、今助教さんと話しているこの空間では研究はまぶしいものだった。このわくわくするまぶしさが嬉しかった。昔抱いていた研究のイメージは一度は裏切られたが、今は目の前で生き生きと飛び跳ねていた。
心は満腹に近かった。
午前0時30分
びっくりするほど話していたら日付が回っていて、自分と助教さん以外は誰もいなくなっていた。びっくりである。
測定機器の電源を落とし、助教さんと共に研究室を出た時には午前1時が迫りつつあった。研究室から一番近い出口は閉まっていたので、助教さんに抜け道を教えてもらった。
助教さんにあいさつと感謝の言葉をつげ、それぞれの帰路についた。
帰り道、自転車で夜の街を飛ばしながらスピーカーの音量を最大にした。もちろんヒトリエの新曲を流した。通学時愛用してきたスピーカーはもう壊れかけていて、音量最大で流した曲は盛大に音割れしていた。割れた音は耳を貫通して心に響き渡り、腹八分目だった心を満腹にした。
不健全な瞬間に飢えて飢えて仕方無い僕らの心は、時々こうやって満腹になる。
人生やめられやしないね。
※思わず書いた記事