無知蒙昧なセンテンス

その辺の社会人が色々なものの言語化を試みる場です。

東大合格実績から見えるもの

こんにちは。しばらくぶりですね。

意味が分からない速さで梅雨が明け、気が付けば夏が来てしまった。諸行無常。例年あまり蚊に刺されない(特にここ数年は数えるくらいしか刺されていないと思う)のだが、今年はやけに蚊に刺されることが多く、もう10か所くらい刺されてる気がする。。これには思い当たる節があって、一つは自転車通学になったことだ。特に駐輪場の虫の量が半端なく、自転車を止めてるときにふと腕や足を見ると蚊がくっついていることがよくある。今「一つは」と言ったが、他には特に思いついてない。もしかしたら今年から急に血がおいしくなったのかもしれない。ないかw

 

 

本題。

大学受験の話。毎年毎年大学受験の結果が各高校で公開され、その実績は高校にとって大きな価値を生む。つまり、いわゆる難関大学に多く生徒を輩出していると強みになり高校の人気が上がるのだ。まあこれは教育制度上必然のことだからいいとして、この合格実績を見ていると俗に言う実績の良い高校の男女別学率の高さが目立つ。以下、分かりやすく2018年の東京大学の合格実績に的を絞って見ると、合格者数上位20校のうち13校が男子校、2校が女子校、5校が共学校である()。ここで特筆すべきなのは、男子校は全高校の3%、女子校は6%ほどしか存在しないということである。高校数では圧倒的に少数派の男女別学の高校が合格実績では上位にバンバン食い込んでいる。これはある種奇妙な現象だと思う。普通に確率的に考えるなら、ほとんどの東大合格者が共学出身になるはずだからだ。東大は1学年3000人くらいなので確率的には別学出身者は300人ほどになるが、今年の合格実績上位15校の別学高校だけで1000人もいる。これは明らかに有意な差であり、共学と別学の間に何らかの違いがあるといえるだろう。

 

じゃあどういう違いがあるというのか。ここからは完全に主観になるが、理由として大きいのは、若干大げさだが「伝統」のようなものだろう。上で述べた合格実績上位校は毎年東大に多くの生徒を輩出している所が多い。そうなると生徒の東大に対する距離感が自然と近くなり、高校内の空気が自然と東大を目指す方向に傾きやすく、結果として多くの生徒が東大を受けることになる。受ける人が多くなれば合格者も増える、という流れだ。とはいえ普通ならただ受ける人が増えてもそう簡単に合格者は増えないだろうが、ここでも「伝統」の効果が大きく作用するのである。毎年東大に多数合格者を出す学校となると人気が高くなりやすく、入ってくる生徒の学力も高くなってきて東大を目指せるような人が増える。こういう人が増えることによっても東大を目指す流れが形成されやすくなる。このような要因はかなり大きいと思う。この「伝統」のある学校が別学に多いということなのだろう。なんで別学にそういう学校が多いのかは歴史とかが絡んできそうで考えるのが面倒なので割愛する。

ぶっちゃけこの伝統性でほとんど説明できるんじゃないか。学力が同程度でも伝統性の強い(≒東大へのこだわりが強い)高校の方が東大合格者は多くなると思う。逆にいえば、巷でささやかれている「別学教育の方が学力がよくなる。」というのは全然本質的ではないような気がする。学力はデータとしてはあまりはっきりとはわからないもので、目に見える結果は合格実績だけである。だから人々は合格実績でしか判断できないわけで、せめて「別学教育の方が東大に受かりやすい」の方がましである。ただこれも嘘で、伝統性の強い学校が別学に多いだけなので、「別学共学に関わらず伝統的に東大に受かってる高校の方が東大に受かりやすい」が正しいのだと思う。

この巷の意見にさらに突っ込むと、学力は別学と共学で特に差がでないのではないか、という気がしてくる。ただこれは先述のように学力があまりはっきりとしないパラメータなので根拠はない。それでも直感的にはあんまり関係ないと思う。

 

もう少し伝統性について掘り下げてみよう。この記事での伝統というのは「東大を目指す空気感」である。個人的にはこの空気感は生徒の間で自発的に形成されるものだと思っていて、教育制度が優れてるとか教師の指導が上手いとかはあまり関係ないような気がする。一度東大を目指す空気感が形成されると勉強熱心な人が出てきて、その姿勢を見て焦りを覚えて勉強する人が増え...といった流れが出来てくる。また成績にも敏感になり、成績の良い人がより注目されやすくなるという効果もあるだろう。そういう人が注目されると成績がさほど悪くなくても危機感や悔しさを感じやすくなり、全体的な学力の向上につながってくるような気がする。

極端な言い方をすれば、この伝統性というのはある種のマインドコントロールみたいな性質があると思う。毎年多数東大に合格してる→今年もみんな目指すし多数合格するに違いない、という思考回路になると上で述べたような成績への危機感や悔しさを抱きやすくなる一方で、本来東大に抱いていてもおかしくない落ちるかもしれないという恐怖感や届かないかもしれないという絶望感といったものは影を潜めやすい。そうなるとある意味精神的には安定感が増し、勉強に集中しやすくなるのではないだろうか。こう考えるとちょっと宗教に近いものがあるのかもしれない。まあ、宗教的な支配が働いた方が余計なことを考えずに集中できるという側面はあるだろうし軸を通しやすいので理屈としては通るような感じがある。

ただ、この宗教的な側面は決して強制的には作られず、あくまで生徒間で自発的に形成されるのだと思う。マインドコントロールといったが、コントロールする支配者はいなような感じだ。あと、マインドコントロールとか宗教的とか言うとすごく聞こえが悪いが、これはあくまでその学校内での一側面にすぎず強迫観念のような類のものではないというのが持論だ。むしろ恐怖感や絶望感が麻痺し、「周りの人がたくさん合格するだろうし自分も可能性はある」という安心感を抱くことで油断して勉強がおろそかになることもあると思う。その結果こういう学校では浪人する人もまた多くなる。

 

まあ色々言ってきたが、要は「合格実績には別学か共学かが重要なんじゃなくて、その学校の伝統性からくる大学受験への認識の仕方が重要なんじゃね?」ていう意見である。

 

 

では。

 

※1:2018年 東京大学 合格者 高校別ランキング 合格数順 | インターエデュを参照した