無知蒙昧なセンテンス

その辺の社会人が色々なものの言語化を試みる場です。

社会勉強をしてきた

先日マルチに加担しかけた。ギリギリで回避したがあと一歩でずぶずぶのマルチをやるところだった。マジで怖い。社会人シビれる。山椒多めにした汁なし担々麵くらいシビれる。いよいよ人生も本番を迎えた感じがする。


きっかけはネットで知り合った男性(Aとする)と仲良くなったことだった。社会人になってからリモートワークばっかだし全然交友関係広がらんなーつまらんなーと思い、せっかくなら会社の外で色んな人と話してみるかというのがきっかけだった。今まで自分が生きてきた環境とは全然違う世界にいる人と会話したらなんか楽しい...カモ?みたいなアレだ。調査兵団に入って壁外調査をしに行くとしたらこんな感じかな...壁の外を見てみたいってこんな気持ちかな...?みたいなことすら思っていた。お恥ずかしい。
もともとAとはお互いにゲームや漫画が好きというところで知り合い、会って飲むことに。この時は普通に趣味の話をしてそこそこ盛り上がった。途中でAが「脱サラして経営してるんだ/経営者になったら時間がすごいできたんだ」みたいなことを言ってて㍂経営者ええやんけってちょっと思った記憶がある。帰り際に「飲み会を主催してるんだけど、良かったら来る?結構オタクな人も多いからなじめると思うよ」と言われ、色んな人と話したいモチベが高かったので二つ返事で行くことにした。

その飲み会は平日の夜に開催されていた。恐る恐る行ってみると10-15人くらい人がいて、比較的穏やかに飲んでいた。
ここでも初対面の人に臆せず趣味の話をした。「ヴァイオレット・エヴァ―ガーデンって、感情が動くときキャラクターの目が震える表現を多用してますよね。んで、本当に強く動いたときは顔全体が大きく動く。この感情の強さの表し方、めっちゃ巧いっすよね~」なんて話を意気揚々とした。この話をする前から「なんかアニメ好きそうっすねww」って言われたのは解せなかったが。どっちかというとアニメより漫画の方が好きだが??と思ったが初対面だったので「えへっえへへっ」つって流した。
趣味以外の話もちょっとしたのだが、Aよりは年下でおれより年上の男性と結構話した。聞くと、彼もまた普通に働いていたがと途中でフリーランスになり、今は経営者を目指しているという。ここでも㍂経営者目指すやつもおるんやなあくらいには思ったが、趣味の話が大半だったのであまり気にはしなかった。ただ、会の後半になってAに「今日は飲み会だけど、土日はちょっと真面目な朝活とかもしてるんだよ。良かったら来てみる?」などと言われ、前回と今回で知らん人とたくさん盛り上がって気分が良くなっていたおれはここでも二つ返事でOKをした。内容も大して聞かずに午前中にセミナーを受ける、くらいの情報しかなかった気がする。あまりにも軽率。

早速その週の土日に朝活があった。行ってみると、将来やりたいことを書きだしたり収入と支出をちゃんと管理してますか?みたいなお金な話とかをしていたりで、所謂自己啓発セミナーの体をなしていた。このセミナーAと二人で行ったのだが、ここでAは「ぼくはこれを周回してるんだよね~」などと言っていて、あ?周回??そんな何度も受けたくなるか?内容そんな複雑ちゃうぞ?むしろ同じこと割と繰り返してるし、テンポ遅い方じゃないか??、などとそこそこ疑問に思ったが、まあええか、社会には色んな人がおるわ、ということにして飲み込んだ。
このセミナーは複数回あって毎週土日の朝にやっていたんだが、後半の回で働き方にも色々あるんだぜ!みたいな話をしていた。色々あると言いつつ「経営者は自分の時間も増えるし、お金も今までより増えるよ(意訳)」などと明らかに経営者の道を推していたのだが、Aが経営者だったり飲み会の場で経営者を目指している人を見たりしていたのでそこまで違和感を持つこともなく、むしろ経営者っていいかもしれん、とさえ思っていた。
ただこのあたりで、もしかしたらAって怪しい人なのか...?みたいな気持ちが芽生え始めた。だって冷静にあのセミナー周回するのは変だし、何かと経営者の道を勧めてくる感じもなんとも香ばしかった。あと、セミナーにも講師として経営者の人が出てきたのだが、全員あまりに似たような事業をやっているのも違和感があった。何度かAに「なんでみんな同じような事業やってるんすか?」と聞こうかと思ったが、この時点でAとはそこそこ仲良くなっていたので溝ができるような質問はしにくかったのもあり、聞けなかった。聞かない代わりに、一応の防衛ラインとして ”多額の金がかかるor他の人を勧誘しろ” のどちらかが来たらAとは縁を切ることに決めた。ここでこれを思えたの、振り返ってみるとマジで偉すぎる。あまりにもナイスプレイ。おれがテニス部出身だったら今頃「ナイッッショォォーーイ!!!」と叫んでいたことであろう。ちなみに卓球部だ。

セミナーの受講期間中、Aに「君と結構境遇が似ている経営者の知り合いがいるんだけど、会って話してみる?」と言われた。ここまでの流れを通じて、怪しいと思いつつ経営者ってなんかええなみたいな気持ちになっていたので会うことにした。「ぼくの兄弟子なんだよねー、共通の師匠がいてさー」と言われたときはその文化何ぞ??と思ったがいちいち聞くモチベもなく、いったん片隅に置いといた(このいったん隅に置いてしまう行為、振り返るとかなり洗脳されやすくなる行為だなと思った)。
その兄弟子(Bとする)の経営者と会ったのはセミナーを一通り受け終わった後だった。平日の仕事終わりにAと二人で待ち合わせ、少し遅れてBが登場した。BはAと同い年くらいで、Aと同様脱サラして経営をしていると言っていた。この時はBのいきさつを軽く聞き、どのように経営者に至ったかを聞いて終わった。話を聞くと確かに経営者を目指すまでの境遇は自分に似ていたので、本当に経営者になれるのかもしれない...!という気持ちが強まり、すごくワクワクしたのを覚えている。Bと解散した後、Aと二人で軽く雑談をした。その中で「ぼくも元々会社員だったけど、そこから経営者になるまでは大変なこととかしんどいことがたくさんあった。でも今はめっちゃ楽しいし、良かったと思ってるよ。」と言われ、そりゃ大変なこともあるよなと思ったがそれでもワクワクしていた。帰り際、Aに「今度またBさんに会いに行こう。もうちょっと色々と話し聞きに行こう!」と言われ、前のめりでOKした。

何週間か経って、再びAと二人で待ち合わせてBに会いに行った。この期間にも何回かAと会う機会はあったのだが、あまり印象的なこともなかったので割愛する。この頃にはすっかり経営者目指せるなら目指そうという心持ちだったので、具体的にどういうことをすればいいのかを聞くつもりだった。Aと待ち合わせたとき、「もし君にモチベがあるなら、今日はBに学ばせてくださいとお願いしてみようか」と言われた。どうすれば良いか聞きたかったので、ちょうどいいと思って「お願いしてみます...!」と言った。
Bに会い、割と序盤で「もしよければ、これからBさんのもとで学ばせてください!」と言った。Bに「なんで経営者目指したいの?」と聞かれたので、自分の時間が持てそうなこと、組織労働は何となく搾取されているような気がすること、色んな景色が見れそうなこと、漠然とワクワクすること、を打ち明けた。すると「今君が話してくれたことは、経営者になれば全部実現すると思う。だけど、そこまでの道のりは決して楽じゃないけど、大丈夫?」みたいな確認をされた。自分で言ってしまったのもあり、もう飛び込んじゃえ!後は野となれ山となれだ!みたいな気持ちだったので「大丈夫です!」と即答した。すると、Bは具体的な道のりの話をし始めた。土日にセミナーがたくさんあり基本的に全参加する必要があること、自己投資として毎月十数万払うこと(⚠)、弱気になったら周りの友人や親でなくBに相談することなど、基本的な方針を伝えられた。今見るとマジでただ洗脳しやすい環境を作りに来ているだけなのだが、飛び込む決意をしてしまったので真面目な顔で聞いていた.........が、真面目に聞いている場合ではないのである。おいおれよ、出てきてるじゃねえか。多額の金の防衛ラインが突破されてるじゃねえか。どうしたんたんだよ先日のナイスプレーはよ.........そう、このタイミングでは十数万の自己投資に違和感を抱けなかったのである。本当に怖い。理由として、十数万を特定の人やコミュニティに貢げという言い方ではなく、「君の健康と将来のため。あとは経営者になったときにお金を管理する能力を自分の収支を使って鍛えるため。」という言い方をされたというのがある。そして、自己投資の具体的な使い方は伝えられなかったのと、「いきなり毎月十数万を捻出するのは無理だろうから、まずはそれだけのお金を用意できるように収支を見直すところからサポートするよ。お金が用意できるようになったら自己投資を始めよう。」と言われ、とりあえず今は考えなくていいかと思ってしまったのである。こうしてナイスプレーはかき消されてしまった。完全に一枚上だった。ハウスの中央付近に複数のストーンを寄せて俄然有利だったのに、相手の一投ですべてはじかれてしまうような感じだった。特別好きでもないのに突然カーリングで例えてしまった。

こうしてBの弟子となり、本格的にセミナーに参加することになった。これは先日の朝活とは別で、経営者を目指そうと思い特定の師匠に師事している人しか参加できないセミナーだった。なんとセミナーは土日の6-7割ほどあり、少なくとも2時間、多い日は朝から夕方までみっちりと入っていた。セミナーの種類によって参加人数が違うのだが、少ない会でも100人、多い会では500人もいた。驚きの人数である。経営者を目指している人はこんなに湧いてんのか!?いやおれもまんまと目指しているが...マジかよ。

最初の週のセミナーを受けた。初参加ということもあり、右も左も分からないのでしっかりと聞いていた。その結果、マジでテンポ遅いな...内容もこの前Bが言ってたこととほぼ同じだし、マインドの話ばっかりやんけ…少し考えれば分かるやん...と、そこそこ不満を抱いた。土日合わせて10時間弱あったのだが、内容は冗長&繰り返しばかりで、正直1時間で十分な感じだった。1回あたりの金額が2000円くらいで、土日でも合計で6000円とかだったので何とか堪えられたが、もっと高かったらそれはもう怒髪が天を衝くところだった。一通り受け終わってAにそういう旨を述べてみると「まあ、全員に内容を分かってもらう必要があるからそういう面もあるよねえ。(中略)君はある程度マインドが備わっているんだよ!」みたいな何とも胡散臭い感じで流されてしまった。おれは褒められるといい気分になるので軽率に流された。
二日間のセミナーの最後の方で経営者を目指す具体的な方法についての説明があった。端的に言えば、まずは経営したときに協力してくれる信頼のできるチームを作ろう!そのためには仲間を集めよう!みたいなことだった。ん?具体的つってもいまいちわからん。仲間ってこのセミナーに参加してる人同士で作るんか?と思いながら聞いていたが、「1から誘う」「すでに仲のいい人を勧誘」だの、どうも外部から連れてくるようなニュアンスで話していた。ちょっとよく分からなかったのでここはAや師匠になったBに別途質問してみた。すると、「ここにいる人はみんなリーダーを目指している人だから、この中でチームは作らないよ。君が別の人を誘って作るんだ。」と言われた。あれ、セミナーの中では仲間になったらコミュニティに入ってもらうって言ってたよな...と思い、「チームを作るために別の人を誘ってコミュニティに入ってもらったら、その人たちもまたリーダーを目指すんですか?」と聞いてみた。そしたら「うん、そういうこと!」と言われ、ますます混乱した。みんなが経営者を目指したら誰もチームは入れないやんけ、どういうことやねん。Bには聞きにくかったのでこの辺りをAに聞いてみると「君が事業を立ち上げるときに誘った人が協力してくれるイメージかな」と言われ、聞けば聞くほど頭が???だった。おれの中の重ちーが「理解不能理解不能理解不能理解不能...!!」と叫んでいた。
二日間のセミナ-は、やけに同じこと繰り返してくる割に肝心のチームを作る部分はふわふわしとるなという感想だった。

その翌日の月曜、セミナーの内容の補足説明をしてくれるということでAに会いに行った。
Aの説明をまとめると、次のような感じだった。事業を始めるにはまず仲間を集める必要がある。8人集めるとコミュニティ内で認められて具体的に事業を始めるという話になる。事業はうちのコミュニティが得意としている○○についての事業を立ち上げてもらう。そのためにも、まずは仲間を集めよう。具体的には、合コン・街コン・アプリで人と出会う、もしくは周りの友人や知り合いの紹介で経営者に興味のある人を探す。そしてちゃんと仲間になりそうな資格があると判断できれば、師匠に会ってもらい本人自らお願いをしてもらう。そうすれば仲間GET。ただ、仲良くなるのと仲間になる資格があるのは違う(ここで突然ワンピ―スを使った例え話が入るが、割愛)。仲間の資格があるかを判断するために、ぼくが主催している飲み会に来てもらって仲を深めたり、そこから朝活に誘ったりしてどんな価値観を持っているかを見極める。そうやって段階的に探っていって、最終的に仲間になる。
これを聞いている途中からそれってマルチ......ってこと!?となり、今までの疑いがどんどん増幅していった。逆に言うと、ここまで来て初めて我に返ったのである。今まで疑わしい箇所はスルー出来ていたが、一つ決定的にスルー出来なかったのがこの ”勧誘” である。積極的に集めないといけないと思ったとき、はじめて強い拒絶感が芽生えた。直感的に、こんなことしたら絶対今までの人間関係にヒビが入る...これは周りの友達に言えないわ......今までの交友関係を犠牲にしてまで目指したくない...!と強く思った。ここで一気に目が覚めた。”他の人を勧誘しろ” の防衛ラインはかろうじて守り切った。残りの説明はなるべく態度が変わらないように相槌を打ち、「仲間集めるために動き出します!」と言って解散した。心の中では抜けることを決意した瞬間でもあった。この時の全細胞が拒絶している感覚は未だに鮮明に覚えている。
あと、Aの話を聞いて変だな...と思っていたところが一気につながった。Aが朝活を周回していたのは仲間候補を何回も朝活に連れて行っていたからだろうし、その朝活の講師がみんな似たような事業をやっているのは主催がそのコミュニティだからだ。「オタクがたくさんいるよ」と誘われて行った飲み会も仲間集めの中継点だったわけだ。

帰宅し、冷静になってネットでいろいろと調べていると被害者の記事がたくさん出てきた。時間とお金を搾取され精神は疲弊、、、みたいな記事がたくさんあったんだが、そこに書かれていた手法がマジでおれが喰らった手法と同じだったので、ますます目が覚め、恐ろしくなった。
それから数日したタイミングでAとBに「クソお世話になりました。」みたいな連絡をし、即ブロックした。今のところ何もないので、おそらく抜けられたんだと思っている。週末のセミナーは、2か月目以降毎回のセミナー代とは別に謎の基本料金として11,000円を毎月取られることになっていたので、初週で抜けられて本当にほっとしている。それに加えて十数万の自己投資が入ってきたら…想像するだけでも恐ろしい。ネットの記事によればその十数万は師匠の事業に対して払うことになっているらしく、ただの搾取じゃねえかと思った。そりゃ最初のうちは具体的な自己投資の内容を伏せるわけだ。
それでも飲み会や朝活で払ったお金を含めると2万ほど飛んでしまった。あまりにも軽率な出費である。今後2万円分はネタとして笑い話にしていかないと元が取れない。


ただ、この一連の流れを通じてマルチへの理解が結構深まったのはギリギリ収穫だなと思っている。そもそもマルチ自体は違法ではないことを初めて知った。お恥ずかしい。
マルチは商品・物を媒介に会員を増やすので会員増加とお金の動きが直接結びついているのに対し、今回の件は ”経営者になりたい” という意志を媒介にして会員が増えて入った後のセミナー代や自己投資代を介してお金が動くようになっているのでワンクッションある。より分かりにくい構造になっていて、マルチ亜種と言った感じがする。そして、単純な感想としてこの組織のシステムは非常に完成度が高いと感じた。ワンクッション挟むことでマルチっぽさが薄れるのもそうだが、とにかく勧誘の過程が丁寧なのも完成度の高さが伺える。普通の飲み会→朝活(この間もただ遊ぶだけのイベントとかもあった)→師匠にお願い→入会、と段階を踏んでいるので、いきなり飛躍して「え??」となりにくい(それでも違和感はあるが、最初普通に仲良くなって最低限の信頼関係を作っているので指摘しにくいのが巧い)。そして師匠に自分からお願いするというやり方も本当に上手である。自分から切り出すことで、今まで感じていた違和感が覚悟とドキドキ感で上塗りされてしまうのだ。実際、「お願いします!」と言った日のワクワクドキドキした感覚はプラスの感情としてとても強かった。ここが「私たちの仲間になってくれますか?」だったらかなりシステムとしての完成度は落ちるだろう。AもBも経営者のメリットを語りつつ、「しんどいこともたくさんある」「たくさん失敗する」といったマイナスの情報もちゃんと混ぜてくるのでリアリティが損なわれないのも上手だ。短期間とはいえ洗脳されていた身としては、これだけシステムが上手ならまあなくならないだろうなと思う。
また、多分嘘は言ってないというのもポイントだと思った。セミナーでの話やAやBの話を踏まえると、仲間を8人増やしたら事業を立ち上げるというのは恐らく本当なんじゃないかという気がする。このシステムだと、単純計算で1事業に対して8人が自己投資をすることになり、人数比的に十分経済が回っていくんじゃなかろうか。実際は共同で事業を立ち上げたり自己投資の払い方がもう少し複雑だったりするのかもしれないが、多分経済は回るんだと思う。嘘を言ってないから言葉を重くできるし、強い言い方ができる(まあ仲間8人集めるまで自己投資し続けると考えると間違いなく沼だが)。考えれば考えるほどなんでこういう組織が勢力を拡大できているのかが自明に思えてくる。


長くなってしまったので一言でまとめると、 ”「壁の外に行きたい」と意気込み、調査兵団に入って壁外調査をしに行ったら危うく全滅しかけた” 、といったところだ。

あと、これだけは言える。
知らない人についていくときは出自はちゃんと聞いとけ

本屋とわたし

休日に、目当ての本があるわけでもなく大きな本屋に足を運んで1時間くらいぶらぶらすることがある。習慣というほど意識はしてないけど、だいたい月に一回くらいはやっている。最近は電子書籍で本を買うことが多く、紙の本でもECサイトで買うことが増えてきたから、本屋で本を買う機会はぐんと減った。それでも足を運んでしまうのは本屋という場所が好きだからだ。
本屋では、なるべく色々なコーナーを見て回る1。 全てのコーナーに長時間立ち止まるわけではないけど、それでも各コーナーで平積みされている本くらいは目に入ってくる。すると、たいてい本屋に入る前は頭に全く思い浮かんでなかったような本が1冊は目に留まる。へえ、こんな本もあるのか、と思いながらいつか読むリストにメモをする2。 こういう想定外の出会いがあると心が浄化されるような気がして気持ちいい。ネットで本を買うとレコメンドの影響で似たような本ばかりでてくるので、どうしても情報が偏ってしまう。本屋にはそういう偏りがないから、自分の持ってる情報がまるで石鹸できれいに洗われているかのような感覚があるのだ。さながら情報のスーパー銭湯みたいだ。

スーパー銭湯要素を見出したのはここ数年のことだけど、本屋は昔からなんとなく好きで、それなりに通ってきた。

いつから本屋に行くようになっただろうか。記憶に残ってるなかで一番古いのは小学生のころだ。
確か小4か小5あたりのころだったか、親と一緒に星新一の文庫本をよく買いに行った。当時は中学受験をしようとしていた時期3で、自分は文章読解がかなり苦手だったので塾の先生に小説を読むことを強く推奨されていた。それまでの自分は小説などほとんど読もうとせずに時刻表や地図・広辞苑などを頻繁に広げるような変態ガキだったので、小説を読むことのハードルがとても高かった。だから、読みやすい小説の方がいいだろうということで星新一の本を勧められて読み始めたのだけど、これが完全にハマってなんだかんだ彼のショートショートを2,30冊くらい読んだ気がする。
それと歴史上の偉人の伝記にハマった時期があった。歴史といってもほとんどが戦国武将で、有名な武将の伝記を片っ端から読み漁っていた。そのおかげか、日本史の中でも戦国時代だけは異様に成績が良かった。
そんなわけで、このころはだいたい文庫本コーナーか歴史本コーナーに行っていて、それ以外の場所は目に留まってなかったように思う。あと本屋は広い場所だなあという印象があった。そこにはとにかく色んな本があって、でもだいたいの本がどこにあるのかわからないし興味もない、そんな感じだった。あでも、辞書とか図鑑のコーナーも時々見ていたかもしれない。

中学高校は電車通学だったので、学校帰りに一人で本屋に寄ることが多くなった。中学に入ってから本格的に漫画というものにハマりだして、文庫本のコーナーには相変わらず寄っていたが専らメインはコミックコーナーだった。中1の時に買ったライアーゲームが初めて一人で買った漫画で、日々新刊を心待ちにしながら読んでいた。だいたいどの学年でもクラスに漫画好きが何人もいて、各々が持ち寄って教室のロッカーとか机の中に入れて貸し合っていた。毎年色んな漫画が教室に蔓延り色んな作品を読める環境は端的に言って最高だった。持ち寄り文化の影響で周りと被らない作品を買うことが多く、少ないお小遣いのわりに知名度や評判を気にせず表紙買いをすることが多かった。色んな漫画の表紙とあらすじを見比べて、時には1時間くらいかけてピンときたものを買ったりした。小学生のころと比べると、一人で来ることが多かったのもあって本屋に長時間居座るようになった。本屋という場所はじっくりと迷う人にとても優しくて、「いくら迷ってもいいから、買いたいものを買いなさい」とでも言われているような空気が流れている。買うものに迷っているとき、他のお客さんもじっくり迷ってるような気がして、勝手に味方だと思って温かい一体感を感じたりする。こういう感覚は中学生のころに知ったんだと思う。
たまに買う小説は星新一ではなくなり、平積みされているものをふらっと買ったり有名どころを買ってみたりした。小説は常に若干のモチベがあるような状態でで年に数冊くらいのペースだったが、ハリーポッタードラゴンタトゥーの女といった海外小説を買ったり、旅のラゴスしゃばけみたいな国内小説を買ったりした。店頭のおすすめやあらすじを見てふらっと買うことが多く、作者もばらばらだった。
それと、色々なコーナーを回るようになったのも中高のころだった。実際に買う本はだいたい漫画で、たまに参考書とか小説とかを買うくらいだったけど、本屋全体をぐるっと見て回ると、雑誌とかビジネス書とか歴史の本とかわけのわからない専門書とか英語の本とか、色々な本があった。中でも印象的だったのは、端の方に売っていた25000分の一だか50000分の一だかの縮尺の地図だ。この地図はよくある書籍形式にはなってなくて、細かいエリアごとに大きな一枚紙の状態になって専用の棚に入っていた。こんなものも売ってるのか!と驚きながらその日は帰った記憶がある。といっても色々と見るのはたまにだったし、基本的には漫画コーナーを見ることが多かった。

大学に入ってもしばらくは同じようなスタイルで本屋に行っていた。相変わらず漫画をよく買っていたし、たまに気が向いたときに他のコーナーを見て回る。変わったことといえば参考書の代わりに講義に必要な専門書を買うようになったことくらいだ。といっても専門書はだいたい生協で買っていたので、本屋で見て回るのは相変わらず漫画コーナーとか小説コーナーとかだった。
大学3年くらいになると以前よりも色々なコーナーをじっくり見るようになった。このころから統計学に興味を持ち始めて自発的に統計関連の本を買うようになったのだけど、その影響か学術系のコーナーを見るのが好きになった。よく見ると、そこには統計学以外の数学書や生物・化学・物理・情報系といった理系の専門書、経済・文学・心理・哲学といった文系の専門書があって、学問の膨大な裾野の広さを30分そこらで実感できるようになった。ふらっと本屋に行くだけで人類の叡智の一端に触れてわくわくできるようになった。なんてコスパが良いんだろう!
あと、ビジネス・実用コーナーにも立ち止まるようになった。すると今まで漠然と嫌悪していた意識高い系(笑)みたいな本がいかにたくさんあるかとか、意外とそうじゃない実用書もたくさんあることとかが分かってきた。結構面白そうなタイトルの本もあって、興味のあるデータサイエンス系の本とか数学とか哲学関連のライトな本とかを中心に時々買って読むようになった。
大学院生になると、以前よりも難しい本を読むことへの抵抗がなくなってきていることに気づいた。研究をするようになって全然読み進められない論文を読むようになったり専門書の見開き2ページに1時間かけてひたすら行間を埋めたりするようなことが増えたからかもしれない。そのおかげか、刹那的じゃない面白さを持つ本にも興味がわくようになって、世界史の本とかサルトルの本とかを買って読んだりもした4。色々な本に興味を持てば持つほど本屋の情報量の多さにハッとさせられることが増えて、このころにはもう月に一回くらい立ち寄るようになっていた。

社会人になってからも院生のころと大きな変化はなくて、本屋に行くときは色々なコーナーを見ている。違いがあるとすれば、仕事をするようになってビジネス関連の本を手に取るようになったことだ。といっても自ら進んで読むというよりは会社にビジネススキル学んでます感を醸し出すために買うことが多いのだけど...有名なビジネス書にも手を出したりしたけど、依然として興味は持てなかった。まあ社会に出たくらいで急に嗜好が変わるわけではあるまい。
あと、前よりもさらに垣根なく本を見るようになった感じがある。突然フェミニズムの本とか猫特集をしてる女性誌とかピアノの入門書とかを買ってみたり、怪しげな心理の本とかニッチなカルチャーの本とかも目に留まったりするようになった。特定のジャンルへの興味はもちろんあって、興味のないジャンルの本もたくさんあるのだけど、そもそも自分の知らないこと全般に魅力を感じるようになったんだと思う。だから漠然と全エリアの本を見て回りたくなるし、冒頭に書いたような気持ちよさを感じるようになったのもそういうわけなんだろう。もしかすると、本屋という場所は自分にとってサウナみたいな役割があるのかもしれない。

大きな本屋に行くとたいてい面白い発見がある。そこには知らないことがたくさん並んでいて、面積はせいぜい東京ドームの10分の1しかないけどそうは思わせない濃密な空間が広がっている5
たかが本屋、だけどそれは家から1時間もかからずに行ける、大きな大きな世界。たくさんの既知とそれよりもたくさんの未知に満ちている、ぼくらのアトランティス

あなたも、ふらっと本屋に立ち寄ってみてはいかがだろうか。


  1. 1フロアなら全体を一周することが多いけど、新宿の紀伊国屋のように何階もあるような本屋だと2,3階ほど回って帰ることが多い。

  2. 本当はその場で買ってしまいたいけど、最近は家の本棚がパンパンなのでメモって後で電子書籍で買うことが多い。メモったまま買えずにいる本もたくさんあるけど…

  3. 我が家は特別教育意識が高い家ではなかったので珍しく自ら志願して(どちらかといえば塾の先生の言いなりで)中学受験したのだけど、それはまた別のお話。

  4. 実存主義とは何か』という本を唸りながら一周したけど、あまり理解できた感触はなかった…いつかもう一周したい。「哲学書は原語で読め」とよく言われるけど、哲学くらい思考の内容が重要になってくると思考が言語によって形作られることによる影響が大きいんだと思う。だからきっと原語じゃないと伝わらないニュアンスとかがあって、そのニュアンスがかなりキーになったりするんだろうな…

  5. 東京ドームは14000坪くらいで、大きな本屋は1000-2000坪くらいらしい。

Let's go crazy

「あの人また優勝したんだって!」
「すごいよね〜!」
「やっぱ天才だなあ」
「才能だけじゃないって。きっと影ですごい努力をしてるんだよ」
「死に物狂いで努力してるんだろうなあ。絶対そんなストイックにはなれないや」
「なんかさ、あの人ってちょっと変わってるというか、天才なんだろうけど異常な感じ?がするよねえ」

何かすごいことを成し遂げた人=縮めてすごい人、に向けられる言葉は色々あります。中でも才能⇋努力の軸での言及は多いです。天才だと崇める人もいるし、努力家だと称える人もいます。1つの軸の中でも様々な度合いから発せられる言及は幅が広く、一つの分布のようなものを形成しています。

確かにそうかもしれない。すごい人を観測するとその人がどうしてすごいのか気になるし、天才or努力家というのは納得できる理由のように思えるから、多くの人が言及していてもおかしくない。
ただ最近、こうした才能だとか努力だとかいう議論にどこか違和感を感じ始めた。天才は天才だからすごい人になれたのだろうか?努力家は努力をしてきたからすごい人になれたのだろうか?

すごい人にはとんでもなくセンスが良いタイプと、とんでもなく努力ができるタイプがいます。前者はとてもセンスが良いので、少し時間を費やすだけで本質にたどり着けます。なのでメキメキと上達し、トップクラスの実力を身に付けられます。後者はとにかく継続して打ち込むことができるので、たとえ速度が遅くてもいずれ本質にたどり着くことができ、トップクラスの実力を身に付けられます。もしくは、センスと努力を両立している人もいます。むしろすごい人というのはセンスと努力を併せ持っている人が多いです。

そう言われても、やはり違和感は消えない。一見正しいように思えるのだが、机上の空論のような気がしてしまう。いくらセンスが良くても最低限努力をしなければ成し遂げられないし、いくら継続して打ち込めてもまるで無意味な努力をしていたらこれも成し遂げられないだろう。才能と努力を併せ持っていても、どこかで満足したらそこからは打ち止めだろう。才能と努力ですごい人を語ろうとすると、どうもぼんやりとしてしまうのである。

では一体、すごい人をすごい人たらしめるものは何なんですか?

ずっと考えていた。そして先日、不意に頭の中である言葉がぽつんと浮かんだ。


狂気


何かすごいことを成し遂げるためには、極めないといけないだろう。そして何かを極めるまでにはとてつもないエネルギーが必要だ。その物事への好き・楽しいといった気持ちはエネルギーになり、人をある程度の場所まで運んでくれる。同様に悔しさやライバル心もある程度の場所までもっていってくれる。だけど、膨大なエネルギーのすべてを補うことはできないと思う。どんなに才能があっても、どんなに努力ができても、(本筋からはそれるが)どんなに環境に恵まれていても、エネルギーが足りなければ成し遂げることはできない。そしてそのエネルギーたり得るのが狂気なのだ。
狂気の素は色々あるだろう。ある人にとっては極めて純粋な好意かもしれない。またある人にとっては尽きることのない怒りかもしれない。敬虔な信仰心かもしれないし、絶対に満たされることのない欲望かもしれない。人それぞれの素が狂気になり、その狂気が膨大なエネルギーとなる。
こうやって考えたらそれまで抱いていた違和感はなくなった。これが絶対正解だとまでは思わないが、少なくとも才能と努力で語るよりはしっくりくる。

じゃああなたは、すごい人は皆狂っていると考えるんですね。

狂っていると思う。ただそれは異常者だとか自我を失っているだとかとは全く異なる。ここで言う狂気はmadじゃなくてcrazyだ。何かを成すために、そして何かを為すために向けられた、膨大な力だ。
才能がないことに打ちひしがれなくていい。努力ができないことを責めなくてもいい。誰にだって、膨大な力を手にする権利はある。


"Let's go crazy"

コンテンツメモ_2021

ここでは2021年になって自分が新たに触れたコンテンツを箇条書きしていこうと思います。コンテンツとして記録するとあまりに多くなりすぎるもの(音楽、動画など)は省略します。ここで言うコンテンツは自分がコンテンツだと思っているものを指すので、一般的に想像されるコンテンツとは範囲が異なると思います。
なるべく書き残すつもりですが、印象的でないものも一部省略するかもしれません。



漫画

サマータイムレンダ
あなたはブンちゃんの恋
グヤバノ・ホリデー
尾かしら付き。
呪いと性春
推しの子
怪獣8号
2.5次元の誘惑
ダンダダン
ワールドトリガー
よふかしのうた
鍵つきテラリウム
九龍ジェネリックロマンス
葬送のフリーレン
ルックバック
ゴールデンカムイ
バス走る
魚社会
私たちの幸せな時間
彼方のアストラ
カラオケ行こ!
チ。-地球の運動について-
ひゃくえむ
違国日記
ブルーピリオド
デッドマウント・デスプレイ
ひょうひょう
田島列島短編集 ごあいさつ
海が走るエンドロール

本(小説・ビジネス書など)

まひるの月を追いかけて
ドミノ
サクラダリセット

AI・データ分析プロジェクトのすべて
分析者のためのデータ解釈学入門
ベーシックマーケティング
イシューからはじめよ
なぜ、DXは失敗するのか?

つくりながら学ぶ!Pythonによる因果分析
Kaggleで勝つデータ分析の技術
RとStanではじめる ベイズ統計モデリングによるデータ分析入門
効果検証入門
StanとRでベイズ統計モデリング

存在しない女たち

ゲーム

モンスターハンターライズ
レッド・デッド・リデンプション2
Bloodborne
ラストオブアス
テトリオ
ラストオブアス2
DELTALUNE
ポケモンユナイト
ポケットモンスターブリリアントダイヤモンド

  

その他

バンジージャンプ
トランポランド
銀山温泉
メルカリ(出品)
SPACE(空間謎解き)
オッドタクシー(アニメ)
ホリミヤ(アニメ)
ひげを剃る。そして女子高生を拾う。(アニメ)
シャドーハウス(アニメ)
グリーンブック(映画)
レミニセンス(映画)
相席食堂(バラエティ)
落語
同人即売会(ボーマス)
Udemy
京都
十津川村
奈良の寺社仏閣(春日神社、東大寺法隆寺)
伊勢神宮
もしも東京展
阿蘇山
有田町
熊本城
姨捨

知。-緩徐な感情について-

先日、なんとなく髪を染めた。どうせ染めるならはっきり分かるようにしたいと思い、ブリーチをしてしっかりと色を変えた。
髪を染めてから街を歩くと、前より染めてる人に注目するようになっていることに気づいた。今までは全然意識してなかったが、街には思ったより染めている人が歩いていて、思ったより色んな染め方をしていた。髪全体を染めてる人もいれば、横髪だけ染めてる人、複数色染めてる人、派手な色、地味な色...
今までは黒髪とそれ以外、みたいな世界だったのがグッと解像度が上がった。

新しく買ったコートを着て外出した日は色んなコートを着ている人がいることに気づけたし、旅行に行く日は人それぞれ色んな大きさの荷物を持っていることに気づけた。ライブに行く日はそのアーティストのグッズを身に付けている人に目が向かうようになったり、資格試験を受けに行く日は問題集や参考書を開いている人がやけに視界に入ったりした。同じ場所を歩いていても自分の状態によって見える景色が変わるのは、なんだか素敵なことだなと思う。たぶん世界はとても広くて、今自分に見えている景色はほんの一部なのだろう。そう思うとまだまだいくらでも知らない景色は広がっているし、それを知ることには際限がない。


閑話休題
知ることが楽しいと最初に自覚したのは大学3年のころだった。全然興味の湧かない専門の授業を聞かずに統計の勉強をしているとき、あ、なんかこれいいなと思った。ほどなくして、その 'なんか' は勉強して得たものが頭に残る心地よさだと気づいた。今までも受験や試験のために勉強はしてきたしもちろんその時も脳に積み重なっているのだが、それらを楽しいと思えなかったのは義務感でやっていたからだろう。消費だけで終わらない充実感がふわっと頭を包む後味は新鮮で、消費だけで終わるような娯楽とは別の楽しさだった。

その数年後、知る楽しさのさらなる一面を発見した。その当時はポケモン対戦(剣盾のランクバトル)をひたすらやっていて、だんだんと実力が上がっていた時期だった。やりこみの甲斐もあってシングルバトルで最終二桁順位を取ったとき、今までと何かが違うのを感じた。対戦を始めたころは分からなかったプレイングや戦術を身に付け、トップ層とマッチングするようになって彼らの思考をある程度理解できるようになった。初心者だったころとは明らかに別の景色が見えていた。ポケモン対戦の知識を積み上げること自体に特別魅力は感じなかったが、積み上げたことで新しい景色を見られるようになったことにわくわく感を覚えた。

今思い返すと、統計の勉強にも新しい景色はあった。統計の場合最初のころは基礎的なことを広く浅く学んでいたのだが、このころは先述したような充実感が主で、景色という外側の変化よりは自分の中に身についていくという内側の変化だった気がする。
ある程度基礎を理解してからやや込み入った話を学ぶと、「いろんな手法はあるけど、結局データをいかに価値のある情報に圧縮するかという学問なのかな」といった自分なりの抽象化ができるようになって、それによって学ぶ時の姿勢が変わるようになった。姿勢が変わり、同じものを学んでいても見える景色は確実に変わった。この外側の変化を実感したときに味わったのはわくわく感で、ポケモンで味わったわくわく感と似ていた。

このわくわく感はかなり研ぎ澄ませないと感じ取れなかった。ポケモンの場合、対戦で高みに行く興奮が感情として圧倒的にデカく、そもそも見える景色が変わったことを自覚しにくかった。統計の場合も、問題が解けた喜びとか理解できた満足感とかが分かりやすく目の前に鎮座しており、景色の変化はシームレスで気づきにくかった。新しい景色を見たというのはたいてい後で振り返ったときに分かることで、丁寧に思い返してふわっと実感できるようなことだ。そしてそれが分かるとじんわりと心の奥の方があったかくなる。このあったかさをわくわく感と呼んでみることにした。

知ることを通じて得られる感情はいろいろあるが、新しい景色を見た時のわくわく感は最も尊い感情のひとつだと思っているし、その感情は一時的な興奮などとは違い割とずっと心に残る。頭に知識が溜まるだけでなく心に感情が溜まるのは、間違いなく知るという活動のすごいところだ。わくわく感まで達するのはなかなか簡単ではないが、できるならここに至りたい。そして、この寒い世界で少しでも心をあったかくしていきたい。


今日も何かを知る。際限ない世界の、まだ見ぬ景色を探して。

トロットロの吐露

社会人になって半年が経った。

ホワイトな会社に入社したこともあって、それほど忙しくない。残業する日はあるが月で見たら多くても20時間とかだし、有休も月一くらいのペースで取れている。忙しさでいったらM2の頃の方が余裕がなかったような気がする。さらに学生の頃より健康に気を遣うようになり、マルチビタミンを摂るとか寝る前に筋トレするとか朝は飲むヨーグルト+バナナを習慣づけるとか、明らかに身体にやさしい生活を展開している。
身体的には人生で今が一番心配してないといっても過言ではない。といいつつなんだか忙しくなる気配も感じるので、さすがに過言かもしれない。

問題は心の方で、明らかに学生の頃より鬱屈としている。

一番分かりやすかったのは死を恐れる気持ちが爆増したことだ。元々死への恐怖はそれなりに抱いていたが、社会人になってからそれは格段に強まった。怖すぎて時々過呼吸気味になるなんてのは今まではない症状だった。「へえー、死を恐れることをタナトフォビアって言うのかー」と知識欲の充足で誤魔化そうとしたりもしたが、全く無意味だった。むしろタナトフォビアで検索しても宗教系のサイトばかりでてきてうんざりするだけだった。
なぜこんなに怖いのか、分析したこともある。その結果わかったのは、自分の中で小→中→高→大→社会人→死という順番を描いているということだ。社会人になってはじめて、死が隣に来たような感覚がある。学生の頃はどこか他人事だった死がはじめて目の前に現れたように感じられた。ただ、こうやって分析して理由が分かったところで死は目の前から去ってくれず、恐怖心も特に和らぐことはない。

この順番の考え方は、死への恐怖以外にも心に悪さをしている。社会人は学生に比べて明確な変化がなかなか訪れない(と、少なくとも今は思ってる)。学生時代は3年とか4年とかで強制的に所属や環境が変わる。当時は特に気にも留めてなかったが、この変化は今思うと精神にとてもよかったなと思う。なんだかんだで変化が多い方が楽しい。少し極端な話をすると、人生はある程度の浮き沈みがある方が楽しいと思っている。同じ0ならずっと0のままよりも+10と-10を経た0の方が楽しいと思う。そんな価値観があるから、「社会人は明確な区切りがないし、これからは変化の密度が減っていくのかなあ」なんてことを考えると、のっぺりとした絶望が脳みそを包む。数年とか数十年とかの大きな期間で見たら変化もたくさんあるのかもしれないが、日々の変化は明らかに学生時代より少ない。と思う。

あとこれは社会人だからではないが、年々没頭できなくなってきている。これは経験したことが増えていくにつれて新しいことを自分の経験と結び付けやすくなっているのが原因だと思う。それが楽しい場合もあるが、結び付けすぎると冷静になったりそこから抽象化したりして、目の前の新鮮さが損なわれる。「これってあの時の○○と同じじゃん!!」よりも「うわあああなにこれえええ!!!すげえええええ!!!」を求めている自分がいる。
「同じじゃん!おお」みたいなポジティブな結び付きは全然いいのだが、これがネガティブに働くことがある。例えば何かで高みを目指すときに、「多分こんな感じで努力したらこのくらいまでいけるな。そしたらあの時ぐらいの達成感と喜びが味わえるんだろうな」なんてことが脳裏をよぎってしまうと、なかなか純粋に没頭できない。
でもたぶん、これを乗り越えて没頭した先にはまだまだたくさんの「うわあああなにこれえええ!!!すげえええええ!!!」が待ってるんじゃないだろうか。いや頼む、頼むから待っていてくれ...!

没頭できない理由はほかにもある。選択肢が広いのだ。社会人になって明らかにやれることが多いと感じる。お金も学生の頃より増えたし行ける場所も増えた。選択肢が多いのはいいことだが、選ぶエネルギーが必要だ。何かを選ぶと、必ずできない何かが生じる。選択肢が一つしかなければできない何かに気づくことはないが、選び取るという感覚がある限り、捨てる何かに気づいてしまう。気を抜くと何も選べずに終わるなんてことが平気で起きてしまう。できることが増えるほど何もできなくなるなんて、皮と肉の盛り合わせでしかない。


色々吐き出して大分すっきりしてきた。大分という文字を見ると「だいぶ」より先に「おおいた」が出てきてしまうので、いつも違和感を覚える。これはどうでもいい。
すっきりしてきて思うのは、この鬱屈を何とかするには何とかして没頭するしかない。できるなら選びとって没頭したいけど、たぶんやらされる没頭でもいいんだと思う。それこそ仕事が忙しいとかでもいい(なんか悔しいけど)。没頭すれば日常はカラフルになるし、たぶんのっぺりした絶望を展開する暇はなくなる。そしてその瞬間くらいは、死への恐怖も忘れられる気がする。











まあ、この鬱屈と共存してもいいのかもしれないけど。

熊本佐賀、情報遮断の旅

こんにちは。最近はときどき関口と名乗ったりもしますが、基本的にはさみっとです。

こんなご時世なんですが、1人で旅行に行ってきました。ごめんなさい。謝りますから絶対許してください。フルリモート&ワクチン2回摂取後2週間以上経過&一人旅なので許してください。お願いします

というわけでこの記事では旅の内容を日記っぽく書いていこうと思います。(以下常体)


前置き

今回旅の目的地を阿蘇と佐賀にしたのは、熊本県佐賀県を観光したことがなかったからだ。それに、全国で一度も観光したことのない都道府県が残りこの2県だけで、ここを巡ることで全都道府県観光という実績を解除できたのだ。本来こういうモチベーションで旅するのはナンセンスな気もしたが、コンプリート欲が勝ってしまった。

それともうひとつ、この旅のコンセプトとして、「SNSを一度も開かない&本などの暇つぶしの道具を持参しない&スマホで暇つぶしをしない」というものを設定した。日々の生活で嫌でも大量の情報を摂取してしまうことに辟易としていて、本格的に情報断ちして頭をリフレッシュしようという魂胆である。情報を遮断するといっても基本的にはSNSから情報を得ないぐらいで、旅先でテレビを見たりはした。


1日目

午前中に羽田空港から熊本へ飛んだ。羽田空港に来たのは久々だったのだが、思ったより先進的になっていて驚いた。特にびっくりしたのはカームダウン・クールダウンスペースという場所で、心を落ち着けるための場所らしい。精神面にここまで配慮していてるのはすごいなと思った。もうひとつは自動運転車椅子WHILLで、指定した搭乗口まで自動で運転して運んでくれる乗り物だ。これはまさにテクノロジーの先端といった感じで、活用してみたら近未来に飛んだような感覚になってワクワクした。

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カームダウン・クールダウンスペース
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電動車いすWHILL


昼過ぎに熊本空港に着き、阿蘇へと向かった。直行のバスで行こうと思ったのだが全然来なかったので、何も考えずにタクシーに乗った。最終的に料金メーターが8000円を超えたのを見た時SEKAI NO OWARIのボーカルになりかけたが、深く考えないことでこれを防いだ。さらに調べたら空港の最寄り駅までの無料バス+鉄道で570円で阿蘇に着くことが分かったが、忘れることにした。
ただ道中で熊本地震の際に土砂崩れがあった場所を通り、タクシーの運転手さんから「ここで土砂崩れが起きて人が亡くなったんですよ」と説明を受けた時は背筋が伸びた。鉄道に乗ってたら分からなかったことだし、実際に荒々しい土砂崩れの跡を見て熊本は被災地なのだということをはっきりと実感した。こうして今熊本を旅できることをありがたく思った。

阿蘇に着き観光案内所の人に聞いた結果、阿蘇山に行くのが良さそうだったのでバスで阿蘇山に向かった。このバスはタクシーに乗らなかったら間に合わなかったバスなので、「タクシー乗って良かった〜!!」と強めに噛み締めておいた。もちろん、8000円のことは全く考えないようにした。
この日はどん曇りだったが、阿蘇山は曇りでも大満足だった。ここまでの活火山を間近で見られるのはド迫力だった。火山地帯特有の植生は木がほとんどなく視界が開けているので、周囲には雄大な自然が広がっていた。荒々しい火口と周囲の優しげな草原とのコントラストはとても美しかった。あと中学受験をしていたのもあり、カルデラというワードが懐かしかった。

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火口
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雄大な自然


駅に戻り、宿へと向かった。社会人になったということで学生の頃より1ランクグレードの高いホテルを取ったのが功を奏し、部屋、ご飯、温泉、どれも大満足だった。ご飯は和洋折衷のコースで、色々と出た中では鱸の蓼オイル焼きが特に気に入った。温泉はぬるめのお湯で好みだった。

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綾波レイに対抗してメタグロスを描いた


夜はテレビをつけつつ、予め買っておいた地酒の米焼酎とおつまみで優勝した。ちなみにその優勝の最中に1日目の日記を書いた。

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優勝の最中



2日目

前日の優勝の反動として夜間頻尿に苛まれ、睡眠の質がかなり悪かったのでめちゃくちゃ眠い朝だった。心も身体もリラックスするつもりで家を出ても、いざ旅をすると何だかんだ身体の方は持ってかれてる気がする。ホテルの朝ごはんはフルーツ→メインのプレート→デザートという不思議な順番だった。世界では初手フルーツがトレンドなのかもしれない。それと給仕の人のじぃや感が半端なかった。「お坊ちゃん」とか言われたら架空のボンボン息子の記憶が蘇ってきそうだった。

事前の読みよりも天気が良く、これなら阿蘇のもう1つのメインスポットである大観峰に行けば景色が良さそうだったが、豊肥本線に乗って熊本に行きたい欲が勝り阿蘇を去ることにした(豊肥本線は本数が少なく、大観峰に行くと接続がかなり悪かった)。

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駅前にいるロボット芝刈のあそた


豊肥本線を走る特急「九州横断特急」に乗った。同じ車両に上裸の陽気なおっさんが座っており、明らかに車掌も気づいているのに全く注意されること無く列車が進むのを見て、おおらかだなと思った。これくらい信頼されるおっさんになりたいものだ。
特に暇つぶしの手段がないのでひたすらに車窓を眺めていたが、全然退屈せずあっという間に熊本に着いてしまった。というのも、豊肥本線がものすごくアツい路線だったのだ。まず、山間部の路線にしては珍しくトンネルがほとんどなく、ずっと外の景色を見続けられた。そしてなんと言っても、阿蘇を出て少しするとスイッチバック(少ない距離で一気に標高を下げるor上げるために進行方向を逆にして、ジグザグに走るギミック)があり、当然テンションがぶち上がった。2回のスイッチバックを経ると、阿蘇特有の木々の少ない自然から少しずつ建物や木が増え、熊本に近づくにつれて大きな建物が増え、最終的に都会になる、という変化が3-40分程度の間に起こり、全く飽きないまま熊本に着いた。都市部と山間部を結ぶ路線の車窓は移り変わりが大きく、見ていて楽しい。
この旅の中で知ったが、豊肥本線は昨年全然復旧したらしく、無事に乗れて本当に良かったと思った。豪雨の影響で、九州の中では未だ復旧していない路線が複数あるらしく(ちなみに個人的に超気になってる肥薩線も復旧していない)、同時に事の深刻さも痛感した。

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豊肥本線の車窓1:夏と秋の共存する空がエモい
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豊肥本線の車窓2:徐々に木が増えていく
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豊肥本線の車窓3:最後は都市部へ


熊本といったらラーメン!ということで、熊本ラーメンを食べた。豚骨+焦がしにんにくのスープがめちゃ美味しかった。麺はいわゆる博多ラーメンより気持ち太めで、同じ九州の豚骨系でも派閥があるのかもなと思った。インドカレーみたいに北と南で違うのかな、いやでもあそこまでの差はないかもな、なんてことを考えながら替え玉までしっかりと完食した。

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熊本ラーメン「黒亭」


まだ時間があったので熊本城を観に行くことにした。熊本城もまた現在復旧中で、入場は出来ないが周りを歩くことは出来る状態だった。なので周囲をぶらぶらと歩いたのだが、この日は日差しが強くてとにかく暑かった。久々に滝汗をかきながらお城の周りを散歩した。天守閣は再建しており、とても綺麗だった。帰り際、城の警備員さんに「お城見えました。良かったです!」と伝えると嬉しそうにしていて、こちらまで嬉しくなってしまった。

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美しい天守


熊本駅をあとにし、本日の目的地である佐賀県は武雄温泉に向かった。移動中、新鳥栖駅で乗り換えの待ち時間があり少し駅周辺を散策したのだが、ドラッグストアしかなかった。本当にそれ以外何も無く、「仮にもお前新幹線が止まる駅なんだぞお前!」とツッコミを入れていた。ただ駅構内にはピアノが置いてあり、ふと現れた少女がエリーゼのためにを弾いていたのはとても良かった。

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何もない新鳥栖駅


この日のホテルは比較的こぢんまりとした部屋で、「え、2食付きとはいえこの部屋で1万円超えるの……あと佐賀県イマイチ何があるか分からん……もっと阿蘇観光したかった……熊本の馬刺し食べたかった……」と急にテンションがガタガタ落ちてきた。が、その落ち込んだテンションはこの後夕食を食べることで一気に昇天することになる。

夕食はホテルではなく、提携しているイタリアンのお店だったのだが、これが凄かった。メニューは店主のおまかせのみで、この時点で「ん、流れ変わったな…?」と思った。出てくるメニューはコースになっていて、オードブル、海鮮系のグリル、パスタ、冷製スープ、ステーキ、デザートと、どれをとっても最高に美味しかった。素敵な時間だった。普段食わず嫌いしがちな海鮮系も余裕で美味しく、この場で初めてアワビの食わず嫌いを克服した。食べ終わってお店を出る頃には「これだけの料理が食べられるなら1万超えなんて安いもんだわ」とすっかりハイになっていた。

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苦手克服につながったアワビのソテー
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(記憶が正しければ)牛フィレ肉のステーキ
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デザートはバニラアイスとパイ


余談だが、この夕食を経てかなり色んな料理ワードを覚えた。しかしながら、カサレッチェというパスタの名前は明日にも忘れてそうである。

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カサレッチェをタコのラグーソースで和えたパスタ


昨日の反省を活かし、本日はお酒を飲まずにこの日記を書いている。情報遮断して2日経ったが、SNSを開かなくても思ったより余裕で過ごせる。あと、宿で見るテレビ番組がびっくりするくらい面白い。よくあるバラエティとかでもめっちゃ爆笑している。まるで小学生の頃に戻ったようで、楽しい。
一方で、そろそろ誰かに話をしたい欲が高まってきた。元々おしゃべりなので、SNSで発信しない分が溜まってきたのだろう。


3日目

夜中にシーツごとビショビショになるほどの寝汗をかいてしまい、昨日以上に最悪の睡眠の質だった。重い身体を起こして朝食を食べた。ホテルの朝食はバイキングで、コロナ対策として各自がビニール手袋をつけて取り分ける形式だった。
朝食の時間を早めに設定しており、予定では食後に朝風呂に入ろうかと思っていたのだが、とにかく身体が睡眠を求めていたので9時過ぎまで部屋で寝てからチェックアウトをした。

電車で有田に向かった。なぜ有田なのかというと、知り合いに佐賀県って何がありますか?と聞いた時に「なんだろー、有田焼とか?」と言われたからだ。それくらい佐賀の観光地の知識がなかった。海苔とゾンビランドサガとはなわとがばいばあちゃんと佐賀北高校のイメージはあったが、いずれも観光地ではない。

有田で降りたものの有田焼以外何があるのか全然分からなかったので、とりあえず近くにあった観光案内所に入ったのだが、ここの方がとても丁寧で、どんな観光地があるのかを分かりやすく説明してくださった。レンタサイクルがあったので、自転車で有田の観光地を巡ることにした。
有田の町は端的に行って田舎だったが、よくある田舎とは違っていた。日本で最初の磁器生産の地ということで、磁石を切り崩してきた磁石場があったり、有田焼でできた鳥居があったりと、磁器と密接に繋がっていた。街並みも古い建物が多く、こぢんまりとしつつも雰囲気のある景観だった。

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泉山磁石場
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やきものでできた鳥居
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街並み
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地面にも有田焼


ひとしきり観光をした後、有田焼のタンブラーを買った。というのも先日焼酎やハイボールとかを飲む用のタンブラーを割ってしまっていて、ちょうど代わりを探していたからだ。わざわざ買う気になれず数ヶ月放置していたが、せっかくの機会なので購入した。一人呑みが捗りそうだ。

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購入したタンブラー


有田の町をあとにして空港へ向かった。空港はいい感じのお土産屋が揃っていて、この旅で自分用の土産に買おうとしてた海苔の佃煮を買った。佐賀といえばやはり海苔なのだ。
ついでに空港で食べた佐賀ちゃんぽんが美味しかった。ただ長崎ちゃんぽんとの味の違いは分からなかった。

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佐賀ちゃんぽん


飛行機に乗り、無事成田に到着した。空港も十分非日常の場所なのに、何故か到着する時はいつも日常を感じてしまう。出発する時はあんなに非日常に満ちているのに。結局どんな場所であっても大なり小なりフィルターを通して見てしまうんだよなぁと思いつつ、帰路についた。


後書き

最初は情報断ちなんてしたら暇で暇で仕方なくなるんじゃないかとか、SNSを開きたくなる禁断症状でも出るんじゃないかとか思っていたが、いざ実行してみるとそんなこと思わないどころか快適ですらあり、芯から休んでるような感覚があった。今となっては逆にSNSを開きたくない気持ちすらある。とはいえ一度開くとまた元通りになるような気もする。この情報断ちはしっかりと休める効果があったので、今後は旅行に限らず時々やっていきたい。

縛りの影響で旅行中はほぼ観光しかしていなかったが、思いのほか観光するだけでも暇にならないことがわかった。観光地の情報を調べたり移動したり、実際に観光したり買い物したりするとあっという間に時間が過ぎていった。何なら阿蘇はまだ巡り足りないぐらいである。この旅行は全県観光制覇という目的があったので色々な場所を忙しなく観光したが、今後は1ヶ所に腰を据えて旅行するのも良いなと思った。あとは何より、しっかりと睡眠の取れる旅行をしたい(切実)


というわけで、旅行記を書きました。旅先で他にやることがなかったのでかなり沢山書いてしまいましたが、夜宿でテレビをつけつつこれを書く時間はめちゃくちゃ楽しかったです。

ではでは〜