無知蒙昧なセンテンス

その辺の社会人が色々なものの言語化を試みる場です。

夜明けの話

以下、主観。



令和になり、ますます大きな声でニワトリは鳴く。朝は近い。


日本史も世界史も別段詳しくはないが、歴史の中には様々な流行り廃りがあったんじゃないかと思う。学問もその例外ではなくて、古典力学が流行った時代、性善説性悪説がぶつかりあった時代、実験に基づく化学が流行りだした時代、天文学が物議を醸した時代、神学が必須科目としての扱いを受けていた時代、経済学が本格的に社会に浸透した時代、きっと色々あったのだろう。最近だとコンピュータサイエンスとかいうやつが流行りに流行っている気がする。
歴史の中での流行り廃りの原因はよく知らんが、このコンピュータサイエンスというやつが流行ってる理由は何となく分かる。専門家じゃないしちゃんとは分からないが、開拓可能な領域がここ最近になって急に広がったからなんだろう。多分、コンピュータサイエンスというのは今まで発展してきた学問に比べれば発展していくのに高度な技術が必要になってくる分野だ。技術がボトルネックになって出来なかったことが最近出来るようになったのなら流行るのも当然だろう。
この流行りは学問の歴史の中の一つのブームに過ぎないしいずれ落ち着くのだろうが、流石に「AIブーム!」みたいなノリで片付けるほど軽いブームではないように思う。言うてまだ続くんじゃないかと。


別に学問の話をしたかったわけじゃないのに、気づけば完全に学問の話をする空気になってしまった。長文怖い。長文を書く時、何となく前座を設けようとしてる節があるが、かなり気をつけていないと前座に場を持ってかれてしまう。気を抜くとすぐ前座が主張を強めて後の文を食いにかかる。それくらい勢いがある。いや何の話だこれ。

閑話休題

コンピュータサイエンスが発展してきて時代が色々移り変わった結果、俗に言う情報化社会ってやつがやってきた。情報化社会の波に乗った多くの人達はSNSを始め、びっくりするほどスマホを手に取ったり手からポケットに入れたりを繰り返しながら気軽に自己を発信していく。SNSは恐らくいとも簡単に人の生活を変えていて、1人で集められる情報量、1人でできることが格段に増えた。
ただこれって、本当に人々にとって嬉しいのか?←こんな疑問は飽きるほど投げかけられてると思うが、よく聞くのは要らん情報に踊らされるとかSNS中毒とか違法ダウンロードで損害が出てるとかプライベートと呼べるものが減ってきているとかそのあたりな気がする。まあそれはそうって感じがするけど、個人的に一番怖いのは、1人の行動範囲がデカくなって個人主義が台頭していくことだ。1人でできることが増えるってのはすごい狭い視点から放たれてる主張で、神にでもなったつもりで広い視野で見ると……想像しただけでもゾクッとする。行動範囲を広げて昔では考えられないような生活を展開していく人がいるかと思えば、さほど展開しない人もいる。それまで情報が律速になっていて差がつかなかった部分で差が出るようになってきてるのだ。やれることが増える=人によってやることに差が出る。そこに個人主義が台頭したらどうなるだろうか?各々が個としっかり向き合わないとすぐ負の感情に心を覆い尽くされる時代が来るように思える。人によってやってる事が多様化するだけでなくそれをすぐ発信&受信できるのだから、しっかりと個を持ってないと簡単に芯は折れてしまう。別に負の感情ばかりに覆われなくとも、肥大化した色々な他人の情報は常に個を揺さぶってくるだろう。身体よりも精神の寿命が先に来るかもしれない。
なら情報をある程度遮蔽すればいいのかもしれないが、現代において情報を制限するのはかなりヤバい雰囲気がある。こればっかりは直感だから分からんが、とにかくそれをしたらヤバい、っていう気配がある。情報の増加によってやれることが増えたのにその情報を制限して個を確保するのは応急処置にしかならないような気がしてしまう。間違いなく視野は狭くなるだろうし、そうなると時代に置いていかれていくんじゃないか。もしも上手いこと情報を制限しつつ幅の広い生活をやっている人がいたら話をしてみたい。まあ例えば1つのことを追求していて、その周辺の情報だけを集中的に仕入れて生きていくとかは上手くやれるかもしれないが、同じ界隈のどちゃくそ強い人の情報が簡単に手に入る今となっては1つのことだけを追求し続けて安定した精神を手に入れるのは難しくなってるんじゃないだろうか。
個人主義が台頭すると浮き上がってくるのは精神の話だけではない。個人が己を広範囲に発信するようになり個人の能力が分かりやすく前面に出てくると、能力を基に他者を評価しやすくなる(ここで言う能力は断じて天才がどうこうという話ではなく、才能とか努力とか知識とか諸々を総合したニュアンスで言っている)。好感度とか整えた体裁とかじゃ能力をカサ増し出来なくなってきて、その人の能力そのものを量れるようになってくる。そうなると能力が地位とかお金とかに直結来るわけだ。理不尽じゃなくなるのかもしれないが、より残酷になってしまう。理不尽を上手く利用して理不尽に甘えて生きていくことがどんどん困難になっていく。極端に言ってしまえば真っ当に生きることを強要される社会になりつつある。そんな気がする。だとしたらものすごく残酷だと思う。


夜が明けて朝が来る時、外は明るくなり暗くて見えなかった物が見えだす。その時視界に映る景色は、どれくらい美しいだろうか。

ニワトリは、けたたましく鳴いている。


以上、主観。