無知蒙昧なセンテンス

その辺の社会人が色々なものの言語化を試みる場です。

引っ越しをした 2401某日

先日、6年ほど住んでいた家を引き払って新たな家に引っ越した。

といっても新居は旧居から徒歩10分ほどの位置にあり、だいたい同じエリアでの引っ越しである。ライフステージが変わったわけでもなく、依然として一人暮らしのままだ。旧居には学生から社会人にかけて6年ほど住んでおり、全体的に暮らしの質を上げたいというのがそのきっかけとなった。築30年越えの1階で過ごす冬に耐えられなくなった、というのが実情だ。
今回は二回目の引っ越しだった。前回は実家からの引っ越しで親の全面的な協力を受けていたので、自力で行う引っ越しは初めてだった。家を引き払うというのも初めてのことで、引っ越し日までにせっせと荷物をまとめたりライフライン周りの契約を更新したり新たに家具を買ったりと慌ただしくタスクをこなしていた。この時点ではとにかく引っ越し作業を間に合わせることに精一杯で、しちめんどうな気持ちでいっぱいだった。内見をしたときに抱いた新しい暮らしへのわくわく感などは完全に忘却の彼方にあった。

終盤は連日徹夜に近い状態で何とか準備を終わらせ、引っ越し当日になった。引っ越し業者が来る時間は夕方だったのだが、新居で家具を受け取ったりガス開通の立ち合いをしたりと、なんだかんだ朝からずっと活動をしていた。旧居と新居が徒歩圏内にあることもあり、ちょっとした荷物はあらかじめは運んだりもしていて何回も往復していた。連日の寝不足と荷物をまとめる際に舞い散ったハウスダストで風邪をひき、アルコールティッシュに触れすぎたことで手は乾燥しなぜか爪は痛かった。予定時刻を1時間ほど過ぎたころにようやく引っ越し業者が到着した。予定時刻の少し前に電話で遅れる旨の連絡があったが、その理由はもう覚えていない。とにかく疲れていて、遅れたことにいら立ちや怒りは全然なかった。
引っ越し業者が家の中に入ってきて、荷物を運び出し始めた。ここ2週間ほどずっと何らかの作業に追われていたが、この時始めて待ちの時間が生まれた。時々「これはお客様の物ですか?」「これは持っていかれますか?」などと質問されたので答えてはいたが、基本的に部屋の隅で突っ立っているだけだった。前回の引っ越しでは業者を使わなかったので初めて業者の作業する様子を見たが、あまりにも手際が良いことにびっくりして、疲れてぼやっとしていた意識が急にシャキッとした。1週間かけて必死に荷物を詰め込んだダンボールがポンポンと運ばれていった。天袋から息を切らしながら下した布団も彼らは軽々と持ち運んでいったし、服や家電などダンボールに詰めていない荷物にもテキパキと対応していた。その動きや順序は洗練されていたし、責任者の出す指示は徹頭徹尾無駄がないように感じた。職人だ、と思った。
シャキッとした意識で空っぽになっていく部屋を眺めていると、部屋が空になるにつれて徐々に緊張感が増してきた。最初はこの緊張の理由がよくわからず自分でも不思議だったのだが、いよいよすべての荷物が運び出されようとする頃にふと合点がいった。

そこに死があったのだ。

荷物のなくなった部屋には自分が6年間築いてきた生活の死が存在していた。ダンボールに荷物を詰めているとき感じられなかった死は、それらが部屋から出ていったとき急に感じられたのだ。その死には自分の意志で自分の一部だったものを消失させたという緊張感があった。引っ越し業者はただの職人ではなく、自分が依頼した暮らしの殺し屋だった。
すべての荷物が運び出された後、なんだか撮らないといけないという気持ちになり部屋の写真を撮った。

業者の作業は新居への運び込みの際も手際が良く、あっという間にすべての荷物を入れ終えて退散していった。やはり職人だな、と感心して見送った。
新居に戻り大量の段ボールを目にすると、隠れていた疲労感がどっと押し寄せてきた。いつしか緊張感は疲労感に押しつぶされ、どこか遠くに行っていた。とりあえず今日を生活するため、バスタオルと下着の入っているダンボールを探し始めた。
まだまだ慌ただしくタスクをこなす必要がありそうだった。