無知蒙昧なセンテンス

その辺の社会人が色々なものの言語化を試みる場です。

BL作品を読んだ

ハマりませんでした。

で終わるならツイートで済む話なので、もう少し書いていく。


SNSで壱百満天原サロメが驚異的なスピードで伸びていることを知り、久々にVtuberに触れた。Vtuberキズナアイや電脳少女シロや輝夜月とかが流行っていたころに少し見ていた程度で、それ以降は全然見てこなかったし全然知らなかった。知らぬ間に動画よりも配信がメジャーな文化になっていて、想像よりはるかに多種多様なライバーが活動しているみたいだった。
最初は壱百満天原サロメの配信動画を追いかけたり見れそうな日は生配信を見たりしていた。するとYoutubeが「コイツVtuber見るんやな」と認識したようで、トップページに色んなVtuberの動画がサジェストされだした。サジェストに従うままに動画を漁っていき、色々なライバーの切り抜き動画を浅く広く見ていった。
その中で鈴鹿詩子というBL好きのライバーの切り抜きにめぐりあい、話し方や雰囲気が気に入って好んで見るようになった。彼女がBL作品について熱量高くオタク語りしているのを眺めながら、これだけ人を惹きつけている魅力はどこにあるのか、とふと気になった。BLというコンテンツは年々拡大しているような感覚があって、それだけ拡大しているコンテンツには間違いなく魅力があるという予感は前々からあった。今まで自分が興味を持てなかったから触れてこなかったが、彼女の話を眺めているうちにBLへの好奇心が勝ったので、触れてみることにした。

有識者におすすめを聞いたりググったりして、以下の3作品を読んだ。


まず読んでいて思ったこととして、''‘えっち’'' であることだ。これは間違いない。自分にとって男性は恋愛対象にも性欲の矛先にもならないが、BLのえっち描写はちゃんとえっちだった。


読んだ中だとテンカウントは特にえっちで、もうとにかくえっちだった。ここまで高密度でえっちを文章に詰め込んだのは恐らく人生初だ。個人的えっちギネス登録である。

男性同士の描写にしっかりえっちを感じられたのは新鮮な驚きだったし面白かったのだが、逆に言うとそれ以外は向いてないな......と思うことの方が多かった。
自分が男性に恋をしない分、どうしてもあり得ないと思ってしまう。恋愛関係に発展すると、どうしても共感できないところが出てきてしまう。ただ『YES IT'S ME』はそのあたりの心理描写がとても上手だったので比較的違和感は少なかった(流石は『違国日記』の作者である)。といっても完全に自然だとは思えず、読んだ作品はいずれもしっかりと入り込めないまま終わってしまった。その点百合は自分が女性じゃないから完全に他人事として読むことができるので、あり得ないという違和感は感じずに読める。

今回読んだ作品はいずれも心理描写が多かった。BL作品は基本的に人間関係がメインなので、バトル物やファンタジーに比べると当然心理描写の割合が多くなる。この点はヒューマンドラマや恋愛モノもそうだが、自分がこの系統(特に恋愛絡み)をあまり得意としていない。人の些細な心情とか複雑な感情とかを飲み込むのに時間がかかるきらいがあって、考えすぎてしまうことが多い。たぶん、恋愛周りの心情把握が引くほど苦手で物語文の読解がろくに解けなかったのを中学受験で無理やり克服した結果、多くの人が非言語的にサッと理解・共感しているものを無理矢理考えて言語化して落とし込もうとする癖がついてしまったんだと思う。変に考えすぎてしまうせいで読んでいて詰まることが多く、人間関係がメインじゃない作品に比べて疲れてしまうのだ。BLだと「男性が男性に恋をする瞬間」を読み解く(努力をするものの違和感の残る状態に落ち着く)のに通常の恋愛モノよりもさらにエネルギーを消費してしまうので、人間関係メインの作品の中でも特に大変さを感じた。
それと、考えすぎてしまった原因は初めてのジャンルだからより慎重になってしまったからというのもあるかもしれない。初めてお酒を飲んだ時は酔いへの警戒が強くて気分良くなれないのと似ているような気がする。BLも今後たくさん飲んでいけばある程度慣れてきて気持ち良く酔えるようになるのかもしれない。

↑で「人間関係メイン」としてBL作品をカテゴライズしたが、読む前に期待していた感覚とは若干異なる。元々BLには独自の魅力があるんじゃないか......?という予想をしていて、それが分かったらいいなあという気持ちで読んだのだが、読後感は完全に恋愛モノだった。異性の恋愛モノやラブコメとの違いは見出せず、BLならではの良さは感じられなかった。理由として一つあるのは、読んだ作品はだいたい受けがかなり女性的で、攻め=男性・受け=女性として読めてしまったことだ(『僕の先輩』はどちらも男性として違和感なく読めたが、友情ではなく恋愛に発展する流れが全然分からなかった)。あとは、そのコンテンツ独自の魅力を知りたいというかなり遠い視点から作品に触れたのが良くなかったのかもしれない。何も考えずにいくつか読んでいって「これいいじゃん」というのを漠然と集めていき、たくさん溜まった段階で言語化すればBL独自の魅力が見えてくるのかもしれない。

BL独自の魅力というところで調べると、こんな記事があった。

prtimes.jp

honto.jp

getnavi.jp


これらを見ていくと、BLは基本的に女性ファンが多くて、女性という性別や社会的な役割、現実と切り離せるというのが割と大きいのかなと感じた。先ほど「百合は他人事として読める」と書いたが、それと一部は同じだなと思った。他人事だから違和感がないというのはあるのだろう。ただ、この他人事は男性と女性で意味合いが違ってくる気がする。なんとなくだけど、男が百合読むときに感じる尊さと女がBL読むときに感じる尊さって違う気がするじゃないですか。

多くの女子は、大人の恋愛をする前に、いやらしい言葉をかけられたり、身体を触られるなどのセクハラの経験をするものです。愛のある行為ではなく、自分を単なる肉の塊のように扱われることに、大きな嫌悪感を感じます。女の裸体を嬉しそうに眺める男性のことも、女からすれば複雑です。(なぜ女はBLが好き? 男が知らない本質的な理由 | GetNavi web ゲットナビ より引用)

こういった男女差は恋愛作品に触れるときに違いを及ぼすと思う。作中の恋愛が他人事になるか自分事になるかの意味合いが変わってくる。他人事になったとき、女性(に限らないと思うけど)の場合は安心できるんだと思う。↑にあるようなネガティブな気持ちにならずに、安心して読み進められるのが大きいのではないだろうか。逆に男女の恋愛になって自分事になってしまうと過去の嫌な経験を思い出したりしてネガティブな感情に繋がりかねないのかもと思った。一方、男性(に限らないと思うけど)の場合むしろ自分事になった方が入り込めることがある気がしていて、自分の場合「モテないおれでもこんなカワイイ子とキャッキャできるかも......!」みたいな高揚感でラブコメを読んだことはある。他人事(百合とか)になっても特別安心感は抱かず、ただ良いな~尊いな~みたいな感じで読むことが多い(百合の造詣が浅いだけかもしれない)。百合に対して「社会的な困難を乗り越えた二人 / 結婚や家族といったライフステージに囚われないバディ」といった意味付けはBLほどはされないんじゃないだろうか(と思ったけど↓とか覗いてみると百合でも似たような意味付けはあるのかもしれない)。

wikiwiki.jp



ぐちゃぐちゃ書いたが、人の感情ってそんな考えるものじゃねーだろ感じろやという声が聞こえてきそうだ。自分で読み返していても普通に長くて鬱陶しかった。

もうちょっと感じるがままに感じるみたいなスタンスで触れた方が良いかもしれない。

とりあえず次は百合を読もうと思う。