無知蒙昧なセンテンス

その辺の社会人が色々なものの言語化を試みる場です。

誕生日とSNS

どうも、さみっとです。

 

夏休みですね。夏休みといえば小2のとき、親がゴーストライターといっても過言ではないレベルで親に全面的な協力をしてもらって書いた読書感想文が区の特選作品に選ばれ、その後市の佳作にまでなってしまい、全校生徒500-600人の前で賞状をもらったことがあります苦笑。作品が市の選考に進んだとき、当時の国語の成績があまりにも悪かったこともあり、当時の担任に呼び出されて本当に自力で書いたのか怪しまれた記憶がありますが、賞状をもらっているということは当時の自分はおそらく全力で嘘を突き通したのでしょう。

ただ、賞状は賞状だしありがたく飾っておこうということで、いまだに額縁に入れて自分の部屋に飾ってあります。これぞ偽りの栄光ですね。ハハッ

 

まあそんな話は置いといて(このフレーズ使ってみたかった)、今回は各種SNSで「誕生日おめでとう!」的なコメントを送る文化について思うところを言っていきたいと思います(敬語言いにくいんでここから常体で)。

 

 

まず、SNSと書いてあるが、ここで言うSNSはline、FacebookTwitterのことだ。

自分も人間なので、直接だろうとどのSNSだろうと誕生日を祝われたら嬉しい。それはそうだ。世の中でも祝われたほうが嬉しい人のほうが多いとも思う。それもそうだろう。自分の場合どのSNSで祝われても基本的には わーい! ってなる単純なタイプなのだが、個人チャット(line、DM、Messenger)の方がより嬉しいかもしれない。←いや、例えばTwitterで顔も知らずリプの絡みもあまりないフォロワーにいきなりDMで祝われたら話は別だが。。。

 

まあなんにせよ祝われる立場なら簡単だ。問題は祝う方である。個人的にはこれがなかなかに難しい。よく個人でやり取りするような仲なら普通に個人チャットで祝えばいい、これは一番簡単なパターンだ。だが、自分と相手以外の人にも見られる場所(Twitterのリプ、Facebook)でのコメントはどうだろうか。例えばTwitterでAという人が誕生日だったとする。大体の場合Aは誕生日だよ~的なツイートをしたりbioに誕生日が書いてあったりして、結構な確率でその人におめでとうリプが送られる。リプを送った人をBとしたら、ほぼ確実にAとBがどちらもフォロワーにいるCがいる。そう、俺はこのCの立場になるのが嫌なのである。何がいやって、この立場になったらリプを送ったほうがいい空気になってしまい、その結果リプを送るのはなんかすごい便乗した感じになってしまうことである。かといってリプを送らないとそれはそれで薄情な感が出てしまう。これこそ誕生日おめでとうのジレンマver.1だ。これはもう相当にタチが悪い。ここで、「祝われる側は基本嬉しいんだしとりあえず送ればいいじゃん」ってなるかもしれない。その場合、どこまで祝うのか問題(いうなれば誕生日おめでとうのジレンマver.2である)が発生する。例えばTwitterのフォロワーが300人いたとして、そのうちリアルの知り合いで相互の人が250人いたとしよう。すると極端な話、毎年250回誕生日おめでとうを言うことになりかねない。これはひとえにものすごく大変ではないだろうか。めんどいならあんま仲良くない人には送らなければいいじゃないか、と言いたくなるかもしれない。これについて言えるとすれば、「それができればこんな記事書かないわ」である。どこかでリプを送るor送らないラインを引くのはあまりに難しく、そしてあまりに難しい。つまり、あまりに難しいのである。

この話はFacebookにも言える。Facebookの場合、なんと通知で全友達の誕生日を知らせてくれるのだ(スゴイデスネー)!この通知は機械的なので、もちろん「あんま仲良くない人は知らせないよ」みたいな器用な立ち回りはしてくれない。万事休すである。ここで誕生日おめでとうのジレンマver.2が発生する。しかもFacebookは通知で強制的に人の誕生日を知らせてくるので、このジレンマは友達の数だけ毎年必ず発生するのだ。Twitterなら気づかなかったり誕生日を公表してなかったりで知り合いのうち何人かはジレンマを感じないが、Facebookは絶対全員である。しかもご丁寧に「昨日は○○さんの誕生日でした」と、誕生日の翌日まで通知を寄越してきて、祝わなかった場合この通知でさらに苦しめられることになる。友達が200人いたら毎年400回誕生日系の通知が来るのだ。2倍である。

この、誕生日おめでとうのジレンマはver.1、ver.2ともに祝われる側には1ミリも伝わらない。誰かの誕生日が来るたびに一人で葛藤し、その日のうちに答えを出さねばならないのである。もはやこれは戦いである。相手には絶対に伝わらない孤独な戦いである。

 

最後に、これらジレンマとの孤独な戦いのなかで出した自分なりのやり方を紹介しようと思う。

まず、TwitterFacebookも基本的におめでとうのリプを送らないスタンスで固まった。特にFacebookは使用頻度が少ないこともあって完全に送ってないし、通知を完全にoffにしている。Twitterは、誕生日ツイートへのいいねに留めるのが主流である。そしてTwitterでは誕生日であることを自分から発信しなくなった。

このスタイルで行くと決めた場合前述のジレンマは解消されるのだが、逆に自分が誰かから祝われた時に手放しで喜べないというリスクがある。ただ祝われるのは1年に一回だけなので、祝う機会があるたびにジレンマを感じるよりはいいと思っている。それでも今年TwitterのリプなりFacebookなりで祝ってくれた人にはお祝いのメッセージを送ろうかなぁなどと考えている自分がいる。これではまたジレンマが発生してしまうではないか(もちろん祝ってくれるのはめちゃくちゃ嬉しいです)。。。

 

 

とまあ色々書きましたが、

結論:考えすぎ

ですねw

 

 

以上です。ではでは。