無知蒙昧なセンテンス

その辺の社会人が色々なものの言語化を試みる場です。

面白いと思った漫画

※完全に自分用のメモです。随時更新

 

読んだ時期

  • 2023以前

GANTZ

フェアリーテイル

鋼の錬金術師

クレイモア

ハンターハンター

監獄学園

亜人

刻刻

宇宙兄弟

思春期ビターチェンジ

リアル

SKET DANCE

鉄楽レトラ

アイアムアヒーロー

ワンパンマン

東京喰種

ハイスコアガール

ヒストリエ

転生したらスライムだった件

四月は君の嘘

宇宙大恋愛

ゴールデンゴールド

Blue Giant

竜の学校は山の上

古見さんは、コミュ症です。

水は海に向かって流れる

月曜日の友達

変女

銀河の死なない子供たちへ

ウスズミの果て

ブランクスペース

マリッジトキシン

宇宙の卵

ケルトンダブル

チェンソーマン

推しの子

地獄楽

チ。-地球の運動について-

違国日記

海が走るエンドロール

葬送のフリーレン

懲役339年

ミューズの真髄

私たちの幸せな時間

往生際の意味を知れ!

怪獣8号

キングダム

ゴールデンカムイ

ひゃくぇむ

九龍ジェネリックロマンス

ワールドトリガー

ゆうやみ特攻隊

アルテ

よふかしのうた

ルックバック

2.5次元の誘惑

約束のネバーランド

波よ聞いてくれ

呪術廻戦

ぐらんぶる

彼方のアストラ

とんがり帽子のアトリエ

Dr.Stone

子供はわかってあげない

足摺り水族館

蟹に誘われて

おむすびの転がる町

宝石の国

あなたはブンちゃんの恋

ドリフターズ

不滅のあなたへ

狭い世界のアイデンティティ

サマータイムレンダ

尾かしら付き。

私の少年

one outs

ライアーゲーム

信長協奏曲

進撃の巨人

ワンピース

魔人探偵脳噛ネウロ

乙嫁語り

ブラッドラッド

ぼくは麻理のなか

クジラの子らは砂上に歌う

寄生獣

週末のハーレム

よんでますよ、アザゼルさん

響~小説家になる方法~

SPY×FAMILY

湖が舞い子が舞い

かぐや様は告らせたい

ジョジョ4部

リィンカーネーションの花弁

アオアシ

ボールルームへようこそ

ダンジョン飯

ジョジョリオン

デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション

ヲタクに恋は難しい

あせびと空世界の冒険者

ばらかもん

今宵月が綺麗ですがとりあえず死ね

青の祓魔師

終わりのセラフ

 

  • 2024

劇光仮面

うみべのストーブ

 

 

 

 

 

失った 2403某日

今月、父が亡くなった。


ご飯を食べると肝臓が痛むと言い出し、病院で検査をしたらステージⅣの肺がんと診断された。この一文だけ読むとわけが分からないと思うが、肝臓にも転移しており、10cmほどに肥大したせいで胃を圧迫していたというわけだ。それほどの末期がんだった。
二か月前に車の運転をしていた人が突然余命1か月と宣告され、実際にはその1週間後に亡くなった。
現実はまるでコントロールできないし、1ミリも待ってはくれない。そこに一切に甘えなんてものはなく、ただただ事実を、受け入れがたい事実を突きつけてくるだけ。

ただ悲しみをぶちまけるだけの文章を公開するつもりはさらさらないので、違う話をしていく。喪失感の代わりにありったけの意地をぶちまけようと思う。

余命宣告を聞いたとき、この状況と徹底的に向き合わないといけないという気持ちが強く芽生えた。1ミリも甘えのない現実と真っ向勝負するには、こちらも一切の妥協をせずに向き合い続けないといけないと思った。元々父とそれほど仲良くなかったが、だからこそこのまま今生の分かれを迎えてはいけないという焦りがあった。
じゃあ何をするかという話で、基本的に外部をコントロールすることはできない。この場合、すでに体中に管を通され入院生活を始めた父と旅行に行ったり飯を食ったりなんてことはもうできそうもなかったし、父はショックで時々焦点の合わない会話をするようになっていたから他愛のない雑談以上のコミュニケーションは難しかった。ただ、自分の中で完結することはやれる。

まず、仕事のスケジュールを限りなくブロックし、極力面会に行けるようにした。この週は仕事関連のプレゼンや外部のイベント参加などが盛りだくさんだったが、やり切った。また、自分の仕事はどこでも可能なので、半分くらいは実家で過ごすようにした。入院場所が実家から車で10分ほどの場所で、自宅からだと1時間以上かかるためである。余命宣告を聞いてから亡くなるまでは7日だったが、おかげでそのうち5日間は面会に行くことができた。
面会に行った後は必ずメモを残すようにした。父の様子、面会に来た親戚の様子、自分の感情とかをなるべく書き留めた。これはとんでもなくしんどかったし、今となってもやらない方がましだったような気がする。
あと、感謝の手紙を書いた。手紙じゃないと伝えられないことがあるってヴァイオレット・エヴァ―ガーデンでも言ってたし、実際文章にしないと出てこない言葉はある。直感でなるべく早く書いて渡した方が良いと思い、余命宣告を聞いた2日後に書き、その次の日に父に渡した。ちなみにその次面会に赴いたときは既に危篤状態だったので、本当にギリギリ意識のあるタイミングで手紙を渡し、読んでもらうことができた。これは本当に良かったと思う。

1週間でできたことはこれくらいだった。これらの活動を向き合ったと言えるのかは今となってはよくわからないが、とにかくやらねばという気持ちでそれを始めたし、それをやり切れたので嫌な後悔は残ってない。


もちろん無理して向き合うことはないし、それで身を滅ぼしたら元も子もない。だけど現実は1ミリも甘えてくれないから、心から向き合いたいと決意してしまったら、こちらも1ミリも甘えられない。


とりあえず今は死後の諸々の手続きに追われているが、ガチで死ぬほどめんどくさいので(死後だけに)、どこかに分かりやすくまとめてなるべくみんなに楽になってほしいなと思っている。これだけめんどうだから士業があるんだなと激しく納得している。ただ自前で全部手続した方がお金はかからないので、なるべく楽に遺族だけで手続きを完遂できることのサポートをしたい。落ち着いたらマジでまとめたい。

抗ってこうぜ。

哀れなるものたちを観た 2402某日

すごい映画だった。以後ネタバレを含みます。 あとあくまで個人の感想です。






自殺した妊婦がマッドサイエンティストに拾われ、お腹の中の赤ちゃんの脳みそを入れて蘇生する。身体は大人の女性、脳みそだけ赤ちゃんのキメラとして生きていく、というお話。 社会の理や倫理、信仰を一切知らないまま、精神と身体の釣り合わないその人は育っていく。その中で抱く純粋な好奇心に従い、世界を冒険する。この純粋な好奇心がとにかく痛々しくて、観ている間ずっと辛かった。おれは好奇心を美しいものだと思っているし、知ることを尊いこととして生きているが、だからこそ無垢な好奇心の持つ残酷さが際立って刺さった。

初めてオナニーをしたらとても気持ちよかったからそれを幸せだと思い、ひたすらセックスをする。その信念を遠慮なく上流階級の淑女にぶつけ、「なんでセックスしないの!?」「でもひとりではするのね、安心したわ」と勝手なことを言う。
初めてスラム街の人を見て、自分のパトロンの金を根こそぎ奪ってばらまく。パトロンに怒られた際に「あの人たちが死んじゃう……」と泣きじゃくる。 他にも色んなシーンで彼女の無垢から起こる活動が社会に人に牙を剥き、最後は自分を縛りつけようとした軍人に人体改造を施しペットとして飼い、彼女は楽しげに本を読むシーンで終わる。

全体を通して、おれが信念として掲げてきた好奇心・知ることに対するリスクを見せつけられたようだった。知りたいから知るを繰り返した結果、精神は成熟し知性を獲得が人道からはズレたままの主人公の様は、本人は満たされるかもしれないが社会的には破滅だった。 もっと言葉を選ばず主観で言うと、自分の信念が社会的に否定されたような感じがして、ほんとうに辛かった。無垢から来る好奇心は破滅をもたらすかもしれないよ、社会的に生きる上で好奇心を全面に出すのは難しいんじゃないの、と言われたようだった。観終わってかなり落ち込んでしまった。

じゃあ観なきゃ良かったのかというと、観てよかったなとは思う。好奇心の新しい側面に触れられたし、映像表現や演技、音楽はとても良かったし。

でも疲れちゃったから今はスカッとする活動がしたいなという気持ちになってる。カラオケにでも行こうかしらね。

LLM無職出身者との邂逅 2402某日

ChatGPTが公開されてから生成AIのトピックを追うのが趣味の一つになった。とにかく毎日目まぐるしく革命が起こっており、現実なのにフィクションみたいなわくわく感が技術からも人からも漂っている。藤井聡太大谷翔平をとりまく雰囲気に近いかも。
自分の職種がデータサイエンティストということもあり、生成AIの中でもとくにLLM関連のトピックを重点的に見ている。時々試したりしながら界隈を追っているけれど、やはりそのあまりのスピードに全然追いきれない感じがある。仕事しながらゲームしたり漫画読んだりと他の趣味もやっているとLLMの技術革新をリアルタイムで追従し続けるのはまあしんどくて(本当は追いきりたいけど)、その時のモチベによってキャッチアップにムラがある。まあでも、基本的には楽しみながらふわっとついていっているんじゃないかと思っている。

そんな中、先日いわゆるLLMガチ勢的な人(以降A氏と呼ぶ)と飲み会で話す機会があった。
きっかけは生成AIについての外部勉強会だった。勉強会はリアルとオンラインのハイブリッド開催で、会の終了後にリアル参加の希望者で飲み会が催された。その飲み会に自分とA氏が参加したというわけだ。

話を聞くと、A氏はChatGPTが公開されてからいてもたってもいられなくなり、無職になったという(ちなみにこういう人のことをLLM無職というらしい!)。その後、A氏は自分でモデルを動かしたりしながらひたすら生成AIのトピックをキャッチアップし続けた。無職になるといっても、自分で法人を立ち上げ会社の形態でうまくやりくりをしていたそうだ(すごい!)。生成AIキャッチアップの他にも3か月かけてドラクエ1-7を全制覇したらしい(うらやましい!)。
曰く、「一時期は毎日18時間とかキャッチアップしてましたねーそれだけ触れてれば大体の話題は追いつけますよー(鬼の早口)」と言っていた。生成AIの革新が早すぎてついていけないという意見はしょっちゅう耳にするが、ついていけるという声は初めて聞いた。
その後A氏はエンジニアとして企業に就職したらしい。LLM無職の状態でひたすらキャッチアップとSNSでのアウトプットを繰り返していたら声がかかったとのことだ。もちろんAI系の仕事である。

完全に狂ってる側の人だった。没頭していた。誰も踏み込んでいない技術の海を冒険し、そこで得られた鮮度の高い知識をさばいてネットの海に提供する。そのサイクルの果てに仕事の需要すら生み出してしまう。




いいなあああああ!!!
おれもこれになりたかったよ!!!




でもなれなかった。いや、なろうとしてなるもんじゃないから仕方ないのだけど。
まあでも死ぬまでに1回くらいは、何かに没頭する気配があったら大胆に首を突っ込んでみたいなあと思う。首、突っ込みてえ。

宝塚を観た 2402某日

知り合いに宝塚好きがいて、良かったらどう?と誘われたので観に行ってきた。

前置き

観てきたのは星組公演の『RRR × TAKA"R"AZUKA ~√Bheem~(アールアールアール バイ タカラヅカ ~ルートビーム~)』および『VIOLETOPIA(ヴィオレトピア)』で、劇場ではなく映画館のライブビューイングで観た。 宝塚は母親が好きで、5つの組に分かれている、男役と娘役がいる、各組にトップスターがいるといった事柄は元々知っていた。ただそれ以外のことはほぼ知らないと言って差し支えなく、先入観を抱くほどの知識も持ち合わせていなかった。そもそもまともに舞台観劇をしたことがなく、舞台というものを全然知らない状態で臨んだ。今回観たうち前半のものは映画『RRR』を舞台化したもので、『RRR』は映画を観ていたので初めての舞台観劇として向いていたように思う。

ここから感想

全体を通して、美しさとかっこよさの流星群を浴びせられたような感じだった。

会場が映画館ということで映画のような心持ちで臨んだが、実際は映画よりもずっと体力を消費した。休憩込みで2本あわせて13:00-17:30と時間が長かったことも原因だと思うが、それ以上に舞台の臨場感や距離の近さが要因にあったと思う。とにかく密度が濃く、映画を観ている時よりも色々な情報・感情を脳が処理しているような感覚があった。例えばRRRの中では火事で燃えている中ビームとラーマが見事な連携で少女を救うシーンがあるが、映画で観た時は主にビームとラーマの動きと少女の表情だけを追っていて、燃え盛る炎には目がいかなかった。一方舞台だと複数人が赤いリボンのようなものを持って演舞をすることで炎を表現しており、人物だけでなく炎の動きにも注目していた。他のシーンでも雑踏の人々の営みや感情表現の演舞など、映像では無意識だった部分を意識しながら観ていた。 こういった物語の体験は間違いなく舞台の魅力だろう。

役者は皆美しいだけでなく、素人目にも分かるくらい確かな技術力を持っていた。舞台では歌と踊りと演技が繰り広げられるが、そのどれもが完成されているようで見応えがあった。特にトップスターの礼真琴さんは歌も踊りも演技もとんでもないクオリティで、ライブビューイングの画面越しとは思えない迫力だった。歌が演技が踊りが、こちらに向かってガンガン届いてきた。宝塚版RRRは映画の半分ほどの時間なのだが、それでも違和感がないどころか映画と遜色ない物量を感じさせる内容だった。役者の技術力が舞台をさらに魅力的なものにしていたのだと思う。

観劇した後、漠然と宝塚には宝塚の文化があるんだなあ、と思った。どういう文化なのか、一回観ただけでは上手く言葉に表せなかったが、その要素として宝塚のスターという要素が深く絡んでいるような気がする。 宝塚のスターにはそれぞれにファンがいる。初めて観ただけでも礼真琴さんはかっこよかったし舞空瞳さんはとても可愛いかった。1回で名前を覚えてしまうくらいには印象的だったから個別のファンがいるのもすごく頷ける。この個人の魅力はアイドルのそれに近いなあと思いつつも、各々にすごい技術力があり舞台全体を魅力的なものに作りあげているのはどちらかと言えば職人的だった。そして、職人に対して覚える感動のようなものを感じた。さらにはスターへの憧れがファンの中に強くあるようにも感じられて、こうなりたいという対象にもなっている気がした。スターはアイドルとして推され、その技術で感動させ、憧れとして崇拝される。実はアイドル、技術への感動、憧れ、の要素が共存しているのってめちゃくちゃすごいんじゃないかと思う。アイドルを推すのは特定の相手に対する強い感情(二人称的)で、技術への感動は他人への強い感情(三人称的)、憧れは自分をベースにした強い感情(一人称的)、と言った感じで全ての人称で強い感情が引き起こされているんじゃないか、と思ったりした。 (この辺りは自分の造詣が浅く、上手く整理できていない)

ぼんやり感じた「文化があるなあ」の内容はこれだけでは表せてないし、そもそもスター性の話自体が的外れかもしれないが、そこには確かに宝塚の文化があったし、尊い空間がひろがっていたのは間違いない。

今年の抱負 2402某日

言語化を疎かにしないこと、にした。

抱負を決めることにあんまりこだわりはなく、別にないならないでいいやというクチなんだけど、正月が終わるころに頭に降ってきたので抱負を定めた。やりたいというよりはやらないといけない感じがしたから。

すごいなんとなくだけど大学3年くらいの時に自分のアイデンティティを確立したような感覚があって、そのころ丁度やりたいことも見つけた。それに沿って5・6年生きていたら最近になってその地盤が揺らいできた。本当にデータサイエンスをやりたい? 今の会社で満足しているの? そもそも組織労働を今後もやりたいの? これからどんなことしたい? 大学行って研究とかしたくない? あと普通にたくさんゲームして本読みたいし、音楽もしたくない? いつやんの? etc......
こんな感じではてなマークが頭をぐるぐるすることが増えてきて、こりゃいかんなという気持ちになった。

こういう時にできることは、みてきいてたべてさわってかいで感じて考えたことを言語化するくらいしか思いつかない。はてなマークに直接答えが出るならそれが一番いいし、いちいち文章に起こす必要なんかない。言語化は大変なので。でも今のところ直接答えが出てくる気配がないから、あたしはとりあえず生活を流さずに一歩一歩踏みしめるところから始めるわけ。それで深夜に言語化した結果翌日布団から出られず、ろくに仕事がすすまないから残業してまた夜遅くまで活動する。あまりにも不器用。だけどそうしないと生きていけない。ただ生活が消費されていく感覚が耐えがたくて、地に足のつかないまま生活が進んでいくのが怖くて、どうしようもないから言葉を吐き出す。そうやってすり減ったMPを補充して、その分HPをすり減らしている。チクショウメー!

言語化するんだ! 生活から言葉をアウトプットするんだ! 何かを見つけてやるんだ! と誓うと、インプットにも気を配るようになる。適当にルーティンを繰り返していると全然アウトプットすることがないことに気づいて怖くなるわけ。それで普段と違う要素を生活に盛り込みたくなって、初めてお笑いライブを申し込んだり、アーティストのライブに複数応募したり、初めて演劇を観に行ったりした。ここには好奇心もあるけれど誓いへのプレッシャーもあって、好奇心をプレッシャーで後押しして活動する感じになっている。でもそうやって生活にイレギュラーを散りばめるだけでもMPが回復してルーティンにも精が出る。予想外の副産物もあるもんだ。イイネ!

ここでの言語化に正しさは要らなくて、自分で自分を納得させられればそれで良い。客観的に間違ったことを言っていてもそれで納得するなら必要だし、納得できないなら正しいことをいくら並べても意味がない。そういう独りよがりな言語化をして、地に足をつけて生活がしたいのです。

ここまで書いて、じゃあなんでブログで公開するんだよ? とふと疑問に思ったけど、これは投稿というアクションがないとしんどくて続けられないのと、シンプルに承認欲求を満たしたいからかなと結論付けています、今のところ。いうてやっぱ認めてほしいもん。もちろん共感されたら嬉しいし、面白いこと考えるねとか文章ええやんとかそういうのも嬉しい。キモッとかでも無反応よりはちょっといいかも。やっぱ嫌かも。

まあそういう感じで、今年はいつもより多めに言葉を吐き出していく所存です。ヤッテイキマショウ。
これで次の投稿半年後とかになったらぴえん超えてぱおん過ぎる。

引っ越しをした 2401某日

先日、6年ほど住んでいた家を引き払って新たな家に引っ越した。

といっても新居は旧居から徒歩10分ほどの位置にあり、だいたい同じエリアでの引っ越しである。ライフステージが変わったわけでもなく、依然として一人暮らしのままだ。旧居には学生から社会人にかけて6年ほど住んでおり、全体的に暮らしの質を上げたいというのがそのきっかけとなった。築30年越えの1階で過ごす冬に耐えられなくなった、というのが実情だ。
今回は二回目の引っ越しだった。前回は実家からの引っ越しで親の全面的な協力を受けていたので、自力で行う引っ越しは初めてだった。家を引き払うというのも初めてのことで、引っ越し日までにせっせと荷物をまとめたりライフライン周りの契約を更新したり新たに家具を買ったりと慌ただしくタスクをこなしていた。この時点ではとにかく引っ越し作業を間に合わせることに精一杯で、しちめんどうな気持ちでいっぱいだった。内見をしたときに抱いた新しい暮らしへのわくわく感などは完全に忘却の彼方にあった。

終盤は連日徹夜に近い状態で何とか準備を終わらせ、引っ越し当日になった。引っ越し業者が来る時間は夕方だったのだが、新居で家具を受け取ったりガス開通の立ち合いをしたりと、なんだかんだ朝からずっと活動をしていた。旧居と新居が徒歩圏内にあることもあり、ちょっとした荷物はあらかじめは運んだりもしていて何回も往復していた。連日の寝不足と荷物をまとめる際に舞い散ったハウスダストで風邪をひき、アルコールティッシュに触れすぎたことで手は乾燥しなぜか爪は痛かった。予定時刻を1時間ほど過ぎたころにようやく引っ越し業者が到着した。予定時刻の少し前に電話で遅れる旨の連絡があったが、その理由はもう覚えていない。とにかく疲れていて、遅れたことにいら立ちや怒りは全然なかった。
引っ越し業者が家の中に入ってきて、荷物を運び出し始めた。ここ2週間ほどずっと何らかの作業に追われていたが、この時始めて待ちの時間が生まれた。時々「これはお客様の物ですか?」「これは持っていかれますか?」などと質問されたので答えてはいたが、基本的に部屋の隅で突っ立っているだけだった。前回の引っ越しでは業者を使わなかったので初めて業者の作業する様子を見たが、あまりにも手際が良いことにびっくりして、疲れてぼやっとしていた意識が急にシャキッとした。1週間かけて必死に荷物を詰め込んだダンボールがポンポンと運ばれていった。天袋から息を切らしながら下した布団も彼らは軽々と持ち運んでいったし、服や家電などダンボールに詰めていない荷物にもテキパキと対応していた。その動きや順序は洗練されていたし、責任者の出す指示は徹頭徹尾無駄がないように感じた。職人だ、と思った。
シャキッとした意識で空っぽになっていく部屋を眺めていると、部屋が空になるにつれて徐々に緊張感が増してきた。最初はこの緊張の理由がよくわからず自分でも不思議だったのだが、いよいよすべての荷物が運び出されようとする頃にふと合点がいった。

そこに死があったのだ。

荷物のなくなった部屋には自分が6年間築いてきた生活の死が存在していた。ダンボールに荷物を詰めているとき感じられなかった死は、それらが部屋から出ていったとき急に感じられたのだ。その死には自分の意志で自分の一部だったものを消失させたという緊張感があった。引っ越し業者はただの職人ではなく、自分が依頼した暮らしの殺し屋だった。
すべての荷物が運び出された後、なんだか撮らないといけないという気持ちになり部屋の写真を撮った。

業者の作業は新居への運び込みの際も手際が良く、あっという間にすべての荷物を入れ終えて退散していった。やはり職人だな、と感心して見送った。
新居に戻り大量の段ボールを目にすると、隠れていた疲労感がどっと押し寄せてきた。いつしか緊張感は疲労感に押しつぶされ、どこか遠くに行っていた。とりあえず今日を生活するため、バスタオルと下着の入っているダンボールを探し始めた。
まだまだ慌ただしくタスクをこなす必要がありそうだった。